千曲万来余話その477~「ブラームス、ピアノ協奏曲第2番ポリーニとアバド指揮による気力勝負」
1976年5/24~26ウィーン・ムジークフェラインザール録音、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルのドイツ・グラモフォン盤、冒頭、まろやかなギュンター・ヘーグナー?のホルン独奏にみちびかれて、マウリツィオ・ポリーニのグランド・ピアノの雄渾な演奏が次に続く。ウィーン製のベーゼンドルファー・インペリアル。ブラームス作曲ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83はあたかもピアノ独奏付き交響曲の雰囲気を持つ。四楽章構成で、通常は三楽章形式なのに、熱情的な第二楽章をはさんで、緩徐楽章である第三楽章はチェロ独奏で開始される。
ふと録音の順番を考えた時、第二、第四そして第一と最後に第三楽章という具合に想像した。第二楽章は力感に溢れていて、始めに取り組み、仕上げとして第三楽章を録音したのではあるまいか?というのが盤友人の見立てである。録音のセッションは時として、始めに力仕事をもってきて、気力勝負の音楽は余力をたくわえて後に回すのが、その様に思われるのである。ポリーニ1942.1/5ミラノ出身で現役最高のピアニストの一人で34歳の時の演奏。指揮者クラウディオ・アバド1933.6/26ミラノ~2014.1/20ボローニャ没は、56~58年ウィーン音楽院ハンス・スワロフスキーの門下生。1963年ニューヨークのミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝、二位はズデニェク・コシュラー。65年ザルツブルグ音楽祭、マーラーの「復活」でウィーン・フィルとのデビューを果たす。66年VPOとベートーヴェン交響曲第7番をデッカ録音している。
ポリーニは1960年ショパン国際ピアノコンクール、審査員全員一致しての優勝を獲得。当時の審査委員長アルトゥール・ルービンシュタイン、私達審査員の中で彼以上にうまく弾ける人はいるだろうか?驚嘆のコメントを残したと伝えられている。以後思索と研さんに励むため、舞台から遠ざかり1968年秋ロンドンのコンサートデビューにより、再起して大成功を収める。1974年初来日。モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンからシェーンベルク、ノーノ、ブーレーズなどコンテンポラリー前衛音楽までレパートリーは幅広いものがある。 ブラームスはピアノ協奏曲を二曲ものにしていて、第一番ニ短調作品15は1858年頃25歳で作曲、悲劇的な色調の開始で二年前、シューマンが死去していた。第二番変ロ長調作品83は1881年48歳で作曲、三月には第二回イタリア旅行をしていて11/9にブダペストで初演されている。ここでは明るい感じが支配している中、第三楽章ピウ・アダージョで79年作品86の6歌曲死の憧れが用いられている。その頃フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人には、一つの小さなピアノ協奏曲を作曲したと告げているのは、彼一流の皮肉である。
この第2番は1967年バックハウス独奏カール・ベーム指揮したV・POのゾフィーエンザール、デッカ録音はチェロ伴奏、エマヌエル・ブラベッツでポリーニ盤はロベルト・シャイバインというクレジットがある。オーボエ奏者に注目すると、前者はカール・マイヤーホーファー、後者はゲルハルト・トレチェックというウィーナーオーボエの歴史が感じられる。大家バックハウスもさることながら、ポリーニの独奏盤は青春の気力横溢した音楽がみなぎっていて低音域に注意していると、チェロやコントラバスの音楽に、ポリーニの左手が勝負をかけていて、印象的である。その量感は雄大で、うまくLPレコードを再生出来た時、深い共感を覚えるから嬉しい事限りない。
クリケットレコード店長のきめ細やかな応対でこのLPレコードをゲット入手できるのは、またとないチャンスと云えるかもしれない・・・まさに一期一会 !