千曲万来余話その475~「シューベルト、ピアノソナタ第十三番イ長調、W・ケンプが弾いた・・・」
一月三十一日、そして222年前の日というとフランツ・ペーター・シューベルトの誕生日に当たる。ウィーン生まれで1797年、さらに没年は1828年のこと、11月19日ウィーンにてである。
「歌曲の王」と呼ばれるのは、ゲーテ詩による魔王など、歌曲の作曲数は600曲余りに上る。交響曲は定かでなく、グレートとあだ名されたものは、以前第九ともいわれ、現在では第八番とされている。ただし、LPレコードの多数は、第八番は未完成として知られているから面倒で、CDの世界では第八番グレートというのは実にややこやしい。未完成は第七番。グレートも以前は第9(7)とされていたものだ。いわゆる、第七というのは欠番だったからである。★ピアノソナタも、第二十一番変ロ長調というのが、ソナタとして最後作品の番号になる。モーツァルトには、Kケッヘル番号というほぼ作品順に並べた数字が付けられている如く、シューベルトには、Dドイッチュ番号が付けられている。ソナタ第十三番イ長調、作品120ドイッチュ番号664は長らく1825年の作と言われていたのが、1819年の作曲とされるようになった。女性音楽家コラーのために作曲されたという話で、三楽章からなる作品。メロディー旋律、リズム律動、ハーモニー和音という音楽三要素でいうと、愛らしいもので、四拍子系のリズムに、さわやかな和声である。優美な第二楽章アンダンテ、さりげなく舞い降りたように軽快な第三楽章。ソナタというのは定型が四楽章に限られたものでもなく、三楽章形式も有りである。ベートーヴェンの作品111という第三十二番ハ短調は二楽章しかない。1822年の作。この時代、シューベルトは、手本がB氏にあったというのは、想像するに易しいことである。
シューベルトの21曲に上るソナタは、よく形式的に、弱いとされている。それはB氏の堅固な様式感と比較するからで、古典派の音楽から一段階展開したロマン派の音楽の特徴と云えるだろう。そこのところ、人間性発露としての音楽は面目躍如としたものがシューベルト作品なのである。フランス市民革命から七、八年しての誕生は彼の作品の激動的な側面をよく表しているといえるだろう。時代、である。日本史で云うと、白河藩主松平定信公、徳川家斉の老中にして、寛政の改革のころに当たる。御家人に対して棄捐令を発していたものだ。
ピアニスト、ウィルヘルム・ケンプ1895.11/25ユーテボルク出身ベルリン近郊~1991.5/2ポジターノ(イタリア)で没は、ドイツ・グラモフォン専属のアーティスト。シューベルト作品は1966~68年にソナタ集を録音している。全18曲で断片しかないというものを除いている。ケンプの演奏は、形式的に堅固であり、恰幅の良い大柄な演奏に仕上がっている。特に第十三番イ長調は、グランドピアノの低音域が雄弁で、確かに、作曲家当時の楽器とは、仕様が異なる。フォルテピアノ、音量は現代楽器の半分くらいなものだろう。その表現は、現代は、幅が倍に拡張されているのだろう。だからケンプの演奏による表現は、シューベルトの世界に、いかにも相応しい。ケンプはモノーラル録音時代とステレオ再録音の時代では、グランドピアノでもベヒシュタインからスタインウエイへの展開が想像される。
デッカ録音のアーティストの、ウィルヘルム・バックハウスが、ベーゼンドルファー一本やりだったのと、区別化を図っていたように思われる。それはギルバート・シュヒターRCA録音がベーゼンドルファー・インペリアルだったのと共通している。ウィーンの音楽には、様々なアプローチが許されるだろうし、ケンプの演奏はそこのところ、かなりの成果を上げているのだが・・・・・