千曲万来余話その474~「パリの喜び、オッフェンバックの名曲マゼール指揮フランス国立管弦楽団」
フランス音楽というと、印象派ドビュッスィ1862~1918、ラヴェル1875~1937そして次に有名なのは、ロマン派ビゼー1838~1875、サンサーンス1835~1921というぐらいだろうか?
ノートルダム楽派というのは11~12世紀ころ、フランスで盛んになったポリフォニー音楽といって多数声部によるコーラスや器楽音楽である。ゴシック前期。後期にはギヨーム・ド・マショー13ca~1377らが活躍してミサ曲などが有名でアルス・ノヴァとよばれる。14世紀にはブルゴーニュ、15世紀にはフランドル楽派というのがルネッサンス文芸復興期を代表する。
フランスバロック音楽というと、F・クープラン1668~1733、ラモー1683~1764などクラブサン鍵盤楽器は聴きもの。時代としては「太陽王」といわれたルイ14世のころ、オペラ・バレエのための音楽が隆盛をきわめている。
エルネスト・ショーソン1855~1899はマスネー1842~1912に学びワーグナー1813~1883の影響を受けている。ジャック・オッフェンバック1819~1880ドイツ生まれのフランスの作曲家。1833年パリに出て、オペラ・コミーク座のチェロ奏者として活躍、58年地獄のオルフェ、天国と地獄で大成功を博す。60年フランスに帰化。美しいエレーヌなど名曲を発表している。ゲーテ・パリジャンヌ、パリの喜びは1938年に初演されている。彼が作曲したオペレッタの中から、バレエ向きの音楽をマヌエル・ロザンタールが編曲したことになる。19世紀後半、第2帝政パリのカフェが舞台。札束抱えたペルー人、手袋売りカフェの娘、不良の学生、兵隊や将校、そして公爵、男爵らが入り乱れて、フランスカンカンの音楽が流れたり、やがて閉店するというとき、ホフマンの舟歌、静かに流れ始める。恋する夢を見たペルー人、トランクには明日という希望がぎっしり、札束と共につまっている。
ロリン・マゼール1930.3/5パリ近郊ニュイ~2014.7/13米国バージニア州キャッスルトンにて死去84歳。ロシア系両親で、米国籍を取得している。1939年にはニューヨークにて、初めて指揮をした。ピッツバーグ大学出身。1960年バイロイト音楽祭に登場、ローエングリン。 65~71年ベルリン・ドイツオペラ音楽監督。72~82年クリーブランド管弦楽団音楽監督。82~84年ウィーン国立歌劇場音楽監督、88~96年ピッツバーグ交響楽団、93~2002年バイエルン放送交響楽団、02~09年ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督で、2008年2月平壌公演を実現している。12~14年ミュンヘン・フィルハーモニー音楽監督に就任している。
パリの喜び1979年録音ということは、40年ほど以前のレコード。フランス国立管弦楽団を指揮して抜群、カラフルな音色にして、小気味よいリズム処理、マゼールの指揮は正に異彩を放っている。B面に聴かれる舟歌は、極上の味わいで、彼のぎっしり詰まった指揮人生の中の息抜きを表していて出色の出来栄えである。
同LPレコード収録のサンサーンス、交響詩死の舞踏作品40、独奏ヴァイオリンをなんと、マゼール自身が担当している。すなわち、彼の指揮はVn演奏技術という、土台にしてあのきらびやかな表現を成し遂げていたといえる。そういえば、作曲家柴田南雄さんはFM放送で、バイロイト音楽祭登場の衝撃を、オーケストラの音色輝きが、鮮やかであったとその事実を報告していて記憶している。以後、ウィーン・フィルとチャイコフスキー、シベリウスなど交響曲全集をリリース、クリーブランド管弦楽団とはベートーヴェン、ブラームス交響曲全集を送り出しているのは正に偉業といわずしてなんであろう。今年は彼の六回忌にあたる・・・