千曲万来余話その473~「ブラームス、ヴァイオリン協奏曲の現代名演奏家イサベル・ファウスト」
不思議なことに、ブラームスもベートーヴェンもヴァイオリンのための協奏曲はただの一曲だけ。しかも、調性はニ長調というように共通している。彼らが作曲人生において、それだけに貴重で、歴史に残る偉業に対する称賛の言葉も、なにも無い。それは、演奏家についても同じことなのかもしれない。
イサベル・ファウストは、札幌のコンサートホールにもたびたび、登場して多数の聴衆に感銘を与えた現役最高峰のヴァイオリニスト、美しい音色、しなやかな超絶技巧、したたかな演奏技巧は、歴史に名を刻む、もはや大家の芸術を披露する天才の一人と言ってよいであろう。最近の演奏ステージは、ダニエル・ハーディング指揮した、オーケストル・ド・パリ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲である。
彼女の音楽は、以前の名演奏家とは明らかに一線を画す芸術である。女流ヴァイオリニストというと、これまで、ヨハンナ・マルツィのカルロ・ベルゴンツィとか、エリカ・モリーニの弾くグァダニーニとか、ジネット・ヌヴーのストラディバリウスなどなど超一流の称賛された演奏スタイルとは、明らかにことなる印象をうける。果たして、絶賛される演奏家なのに、その手応えは余り、感じられない。それが、多分に現代を代表するという形容詞の所以なのであろうと、盤友人はひそかに思っている。というのは、彼女の演奏には、大家の印象は与えないものなのである。手探りのような音楽、強靭な意志ではなく、戸惑いとか、ナイーブな印象を与える音色、それがおそらく、一昔前のガット弦の音色に親しんでいる耳にとっては、異次元の世界なのである。だから、ばっさり切り捨てるとしたら、なんなのこの音は?という疑問は、拭い去ることが出来ないのである。モリーニのような輝かしい音色とは肌合いが異なる。だけれども、ブラームスの音楽なのである。不思議な印象を受ける演奏と云える。それは、ハーディング指揮するオーケストラの音楽にも同じことである。
開始の弦楽合奏を聴いて、そのなんと大家風とは異なるなよなよとした音楽なことであろう。戸惑いを覚えるのは私だけのことなのだろうか?室内オーケストラの演奏規模のせいなのであろうにしても、一時代前とは違う印象を受ける。これみよがしの、断定的とか、ベルカントと言われるような大げさな表現スタイルとは全く別世界の音楽に表現が緻密な強弱一杯のスタイルである。それはあたかも、現代の生活観にあたる、不条理、不安、不気味を連想させる音楽と言ってよいのであろう。一筋縄ではありえない、ただ、聴き込めばききこむほど情報がぎっしり詰まった音楽である。つまらない、というのは簡単なことなのであるのだが、切り捨てるには後ろ髪の引かれるレコードである。多分、これから何回もプレーヤーに乗せる音盤になるだろうなあという感想である。云えることは、これが現代の演奏なのである。
デジタル録音であり、倍音の切れもない、管弦楽の定位も印象は薄いとか、演奏、録音の持つ限界はすごくあるのだが、それを超える魅力をもった不思議な演奏といえる。昔は、バリバリ演奏していて、分かり易かったのだが、この1枚は、はたしてこれが名演奏なのかという疑問をもちながら聴くことになる。実演で彼女の演奏を経験して云えることは、脱力の境地、自由自在、はかなさを感じさせるけれども、強靭な演奏技巧の持ち主という絶賛するに足る演奏家なのである。
名演奏家などというレッテルは、過去の演奏家に対するものが多いのだが、イサベルは、同時代を代表する超一流のスタイルを確立した、稀なヴァイオリニストの一人ということに、はばかることはないのである。