千曲万来余話その468~「モーツァルト幻想曲ハ短調、リリー・クラウスによる名演奏の原点」
米国デッカ盤で、モノーラル録音ジュスキント指揮フィルハーモニア管弦楽団とK271ジュノームとカップリングされた幻想曲ハ短調K475、B面のバンド2でこの演奏を鑑賞する。
鑑賞する段階として、なんでも有名曲という第一段階、この作曲家が好きだなという第二段階、そして名演奏家を集中して聴こうという第三段階、こういう変遷で三十年ほど過ごす。最近の盤友人はさらに時間を経て、1950年代のモノーラル録音を高品質の追求、アナログを掘り下げて聴くというさかのぼりでこのLPレコードを聴くことになる。すなわち、オーディオの先祖がえりを果たしてリリー・クラウスに再会する。彼女1908.3/4ブダペスト生まれ~1986.11/6アッシュビル没の情報で、生年は05年03年と色々ある。レコードジャットによると父がチェコ人、母はハンガリー人。バルトーク、コダーイ、そしてベルリン音楽院教授だったアルトゥール・シュナーベルにも師事している。シモン・ゴールドベルクと二重奏デュオを組みモーツァルト演奏を記録して後年ウィリー・ボスコフスキーともレコーディングを残している。1963年には初来日、旧札幌市民会館でも演奏会、楽器の金属フレームにサインを記していた。
特に50年代は技師アンドレ・シャルランが録音していて名演奏、名録音の誉れが高い。こういうソースをいかに再生するかで、オーディオシステムのグレードが知れるというものだ。システムは音の入り口、胴体、出口という三部分のバランス、プレーヤー・アンプ・スピーカーの三位一体が重要になる。もちろん、ピックアップの性能により、ピアノのソースを生かすかどうか、決まるといえる。判断の鍵は、楽器の鳴り、倍音、演奏のスピード感、タッチの具合、などなど色々と重なり合って総合的にどのようなピアノの音響が再生されるか?その上でどのようなモーツァルトの音楽が味わえるのかということになる。
彼女が四十代時の録音では、歯切れの良い、快速でも、ギアチェンジがよく効いて緩やかな音楽にも生命感が宿っている。特に音作りは、入念で、スタインウエイであろう楽器の音響を巧い具合に仕上げている。楽譜の読み込みが深く、その即興性を感じさせる演奏は、生命感あふれる記録として極上のものである。このことは、いい音、いい音楽とは何かという問いに対する一つの答えがここにあるといえるのだ。
幻想曲ハ短調K475は1785年5月20日作曲で、84年10月14日にはK457ソナタ14番が作曲されていて、よくカップリングされて演奏される。アダージョ、アレグロ、アンダンティーノ、ピゥアレグロ、テンポ・プリモ始めのテンポで、という一続きの構成。力感に溢れていて、リリーの演奏はそこのところ、圧倒的な七変化(五?)を披露する。モーツァルト29歳、デモーニッシュ悪魔的な音楽、聴くものを引き付けて離さない、彼の天才性の一面が典型的に作曲されていて、そこのところ、ぴたりと演奏がはまっている。演奏行為の即興性は、一線を越えたアーティストの証であり、余人の追随を許すことのないレコードである。
演奏は時代を反映していて50年代の演奏は大戦を経験した上での記録であろう。ぎりぎりのところで演奏を展開し、聴くものをつかんで離さないスタイルである。最近の演奏は、どちらかというと、思念的、耽美的、客観的なスタイルであるだろうが、レコードとしてもデジタル録音は、空気感が希薄だ。そこでアナログは時代の空気を記録していて、演奏家も真剣勝負。デジタルがアナログ世界を超えているといえるか?オーディオの道をさかのぼり醍醐味とは何か、究極の音楽とは何か、演奏の記録再生こそアナログの真髄に迫るこそ、そこは原点といえる・・・