千曲万来余話その464~「ブルックナー第五交響曲、フルトヴェングラー指揮LPの三大特色」
アントン・ブルックナー1824・9/4オーストリア・アンスフェルデン生まれ~1896.10/11ウィーンで他界、交響曲第五番変ロ長調1876年五月完成1894年グラーツで初演、指揮者フランツ・シャルク、1878年修正(第二稿)ハース校訂版1935年ミュンヘンで初演。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25ベルリン生まれ~1954.11/30バーデンバーデン没、彼はベルリン・フィルとウィーン・フィルとの関係が密で、それぞれにグレートなレコーディング残している。特に1945.1/22戦時中最後のベルン・フィルを指揮していて、1947.5/25非ナチス裁判終了後の復帰演奏会を記録している。1954.9/20ベートーヴェン第一交響曲、自作ホ短調交響曲指揮がF氏最期のBPO演奏会。ワーグナー、ワルキューレ全曲1954.10/6ウィーン・フィルを指揮したレコーディングはF氏人生最後の仕事となる。
彼が指揮した記録写真としては圧倒的に1947年以降のものである。きちんと写真を調べて行って、1945年以前のベルリン・フィルを指揮したものに出会い、愕然とする事実はコントラバス、チェロの前列に配置された第一ヴァイオリン、そして指揮者にとっての右手側にはアルト、第二ヴァイオリンというVn両翼配置型であることに気づかされることだ。
このことは何を意味するのかというと、大戦後の演奏では戦前の音楽会が否定され、その影響としてVn前列ダブルウィング配置は徹底してネグレクトされたことにある。DG録音1980年代前半レヴァイン指揮ウィー・フィル、モーツァルト交響曲全集録音を境に、レコーディングとしてVn両翼配置型は復活している。ステレオ録音で初期から記録していたのは、クレンペラーやクーベリックが指揮したものであろう。EMI録音では初期にカラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団のものに有る。
フルトヴェングラー指揮したレコーディングは全て、モノーラル録音の時代であり、1945年以前録音で、ベルリン・フィルとのレコードは1980年新世界レコード社からソヴィエトのベルリン録音接収テープから起こされたLPレコードで鑑賞することが出来る。丁寧に聴いていると、1940年代の演奏は男性的で、テンポの揺れは劇的で印象に強く残る演奏スタイルである。それはコントラバスが舞台下手側に配置されたことによる音楽であるのが理由と考えられる。
第一Vnがコントラバス、チェロと距離の近い音楽は、テンポの動かし方が、より可能である。第一Vnとコントラバスの距離が離されると、それがより難しい音楽になり、スタイルも伸び縮みが少ないものになる傾向となる。21世紀の音楽会には両翼配置型が復活するのは正当な理由があるといえるだろう。メンデルスゾーンの宗教改革や、シューマンの交響曲ラインを演奏会で経験する時、音楽はVnダブルウィングがその前提条件になっていることが如実に理解される。だから、Vnの第一と第二を並べることで作曲家の音楽が破壊されている事実を、聴衆は声にする必要があるであろう。現役指揮者たちは、その指摘がされない限りいつまでも、慣れた配置でしか指揮をしないものである。
1942.10/25~10/28のライヴ録音でブルックナーの交響曲第五番を聴く。フルトヴェングラーの音楽は、一つに、造形が確実でテンポの設定に説得力があり、演奏も完璧である。アインザッツとして金管楽器の入りの前に弦楽器は揃っていて、ティンパニがバシッと決まっているのは小気味よいものがある。二つ目、演奏に推進力が有り停滞することは微塵もなく、F氏の精神状態は集中力が遺憾なく発揮されている。三つ目、ブルックナーのコラール交響曲ともいわれる、壮大な音楽は、第一楽章ピッツィカートによる開始が終楽章に再現される時、循環性を持つことになる。これは彼の勝利という音楽観が刻印されているといえるのだろう。フルトヴェングラーにとってベルリン市民に尊敬されていた記録が鑑賞できることに、感謝すること、しきりである。