千曲万来余話その462~「女心の唄、ザ・ベスト・オブ・カルーソー」
LPレコードを再生するのに、エイジングというテーマがある。プレーヤーで、レコードの針が溝による振動をピックアップして、アンプが電気的に増幅し、スピーカーが音響を発生させる。これらの一体感には、エイジングといって、再生を通した上での音質向上が可能となる。分かり易くいうと、レコードをしばらく再生させると音に一段と生々しさが加わる。その始めの再生にどのようなソースが相応しいのか?人それぞれに頭を悩ませる。ピアノの曲といっても、ソナタなど楽器が一種類のもので、しばらくの間鳴らすとスピーカーの駆動がなめらかになり、倍音などの音が聴きやすくなる。ただし、これは、気持ち的にあってであり、劇的な変化程ではないのだが、気持ち、向上が感じられる。
最近、人と話していて、たとえばSPの蓄音機再生で何が一番心に残っているか?と話を向けたことがある。その彼は、カルーソー!あの生々しさは簡単に忘れられるようなものではないですね、という返答であった。そこで盤友人は、その話を覚えていて、LP復刻盤でカルーソーを再生してみたのだ。
テノールのカルーソー1873.2/25ナポリ生まれ~1921.8/2ナポリ没は、2オクターブのハイCツェーを出せただろう、声質がバリトンのように太い声で張りが有り輝かしい。何にしろ、そのエネルギー感は随一で、オーディオの歴史はカルーソーの芸術から始まったといって、過言ではない。SPを語るとき、人は必ずと言っていいほど、雑音、ノイズについて指摘するのだが、適正な装置で再生したとき、人間の耳は、そのノイズを自覚しないでシグナル、人の声に感動を覚えるもである。S/N比といって、信号と雑音を比率的にカウントするのだが、LP復刻RCAレコードを再生すると、圧倒的に信号の方が実体的で、ノイズはほとんど気にならない。
スピーカーも、カルーソーの歌を再生した後では、エイジングが進み、管弦楽などのレコードで、高音域の輝かしさ、中音域での力強さ、低音域での生々しさなどに一層の凄み、迫力、輝きが加わることこの上ない。ヴェルディの、1851年頃初演された歌劇リゴレット、女心の唄など1908年吹き込みの歌は天下一品である。
女性とみると手を出さずにいられないマントーヴァ公爵、道化師リゴレットの娘ジルダ、最後には待ち受けている悲劇、イタリアオペラ名曲のアリア、カルーソーが渾身の歌でもって記録したSP録音、これを復刻とはいえ、LPレコードで再生できることは、この趣味の愛好家として、お勧めする原点である。
人の声というものは、音域的に云っても人間の耳に集中できる可聴範囲のスイートスポットで、楽器にとってもこの範囲に説得力がないと、聴いて飽きるものである。全体のトーンが明瞭であっても、この音域に力がこもっていないと、機械的、無味乾燥であり、魅力に欠けるといえる。だから、エイジングを考えるとき、カルーソーの復刻盤を再生させるのが効果的であり、そのあとに再生させるピアノ、ヴァイオリン、チェロなどのオトカズ音数が少ないソースなどを鑑賞するのに効果がある。
オーディオ再生で、音にではなく音楽を鑑賞するうえで、音の魅力はエネルギー感であり、音楽のそれは、演奏する息遣い、緊張感、構成力である。いい音、いい音楽とは、つまり、生命の再生であろう。記録をよみがえらせることこそオーディオ人生の目的であり、価値なのである。生命力の実感は再生する喜びであり、求めてやまない境地、それこそ、みなさんがめざしている世界、桃源郷ともいうべき高みではあるまいだろうか?カルーソーこそ、オーディオの原点とすべき、要と云えるのではないか。