千曲万来余話その455~「フルトヴェングラー指揮、英雄交響曲1944年録音盤をめぐって…」
LPレコードができるまで、マスターテープ、マザーテープという具合にカッティングされるまで、録音テープが介在する。マザーテープが第一世代の時、それによりカッティングされたレコードはオリジナルと呼ばれて、初発売につき高額の価格で取引される。例えばそれが25万円値段がついていても、同じ演奏だからといって再発盤は500円しか価値が無い場合があるといわれるのは、そのためによる。マザーテープが異なると、情報は著しく劣化していてコピーであるから、再生される音は似て非なるものがある。同一の音源によってもLPレコードは、さまざまなのである。
1953年、フルトヴェングラーの生前にウラニア盤エロイカ事件が発生している。米国ウラニア社が1944年、ウィーン・フィル演奏による英雄録音盤が提訴されて発売禁止の措置が取られた。ライセンスが所有されていなかったことによるものなのだが、その理由はいかなるものに拠るかは不明だったから当時、話題になったのである。
同じ音源のLPレコード、ソヴィエトのメロディア社から1990年、一連のベルリン・フィル、ライヴシリーズの第一巻にリリースされてそれが陽の目をみることになった。1944年12月19、20日録音というもので、ウラニア盤と同じもの。録音データに注意すると意外な事実が浮かび上がることになる。ウラニア盤と同一音源を、EMIフランス・パテ1969年プレス盤で入手することができた。
録音タイミング、第一楽章ウラニア盤(フランスパテによると)14分55秒、メロディア盤15分56秒。およそ一分間の違いがある。当然、聴いた印象は微妙に違うものがある。前者は刺激的な面が強調されて、後者はおとなし目である。第二楽章17分00秒、メロディア盤AB面を足すと16分04秒で、両者誤差の範囲に有る。第三楽章はウラニア盤6分12秒で、後者は8分25秒、終楽章、前者12分10秒、メロディア盤11分02秒と、ここでも一分間ほどの違いがある。考えられることは、A面とB面におさめるために、ウラニア社はマザーテープの回転数を調整して、速めの第一楽章、遅めの終楽章という傾向の調整が成されたことは容易に想像される。
両者は果たして同一演奏なものか?という疑問が生じる。
盤友人はポケットスコアを開いて音源のチェックを試みた。第四楽章の257小節目、フルート独奏の華麗な音楽の後、弦楽のエピソードが一段落する5分10秒あたりで、椅子の軋む音が聞き取れる。この音は、ウラニア盤復刻レコード、EMIフランスパテ盤、メロディア盤の三枚とも確認できるノイズである。これを再生すると、同一ソースという断言は可能になるといえるのだ。
演奏内容というと、ムズィークフェラインザール録音という残響が豊かに録音されていて、聴衆によるノイズの無い、ライヴ録音ということのもの。ライヴということわりは、テイクによる修正の無い一発勝負の演奏というものである。第二次大戦後半のナチスドイツ戦況不利の中、緊迫感漂う壮絶な演奏、しかし第二楽章の葬送行進曲では、管楽器の演奏にはヴィヴラートは無く、弦楽器もノンヴィヴラート風の演奏である。作曲者の時代には、現代オーケストラとは違った楽器編成数であったことだろう。すなわち、規模は、ほぼ倍増していることが容易に想像される。それは、二千人収容規模の会場が現代なのに対して、昔は一桁違ったといえるのだろう。ところが、ベートーヴェンの精神を、フルトヴェングラーは一期一会の音楽で集中表現を実演記録している。それは指揮者58歳の演奏で、気力が横溢していて、ウィーン・フィルと万全のコンビネーションだ。F氏は最後まで残りの人生10年ほどとなる。