千曲万来余話その448~「幻想交響曲、アンセルメ指揮芸術の総決算デッカ録音を聴く」
ゆらゆら、ゆらゆら、ばしゃばしゃばしゃ、ごごごご、という具合で二~三分くらい長い揺れ方、未明の地震だった。9月6日午前3時08分頃、眠りを覚ます震度5強の震度で、その規模は続いた停電で知らされた。消えては付き、そして消えてという停電の仕方は、尋常ではない経験だった。あとで、伝えられた胆振東部地震、震度7、マグニチュード6.7、震源の深さは40キロメートル。その後、道路のいたるところで、信号機は点灯しない状態が二日間続いた大停電であった。
被災された方々に心よりお見舞い申しあげますとともに、一日でも早く通常の生活を取り戻せますよう切に願います。
さて、地震の前日のことですが、ふと、ベルリオーズ、ワルプルギスの夜の夢が聴きたくなり、アンセルメの録音盤に手が伸びた。1883.11/11ヴヴェイ生まれ~1969.2/20ジュネーブ没、1968年6月来日公演を果たしている。幻想交響曲作品14、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏、スイスはフランス、ドイツ、イタリア、ロマンスという四つの使用言語地域に分かれていて、フランス語地域をスイスロマンドと言う。数学者でもあったアンセルメはパリ、ソルボンヌ大学にも籍を置き、エルネスト・ブロッホには作曲法を学んでいた。1918年秋に、スイスロマンド管弦楽団を組織して1966年まで常任指揮者に就任、1967年に後任はパウル・クレツキ。その頃のデッカ録音に、幻想交響曲がある。
第一楽章、夢と情熱、輝かしい弦楽器の音色に驚かされること受け合いである。明るい音楽の第二楽章舞踏会、第三楽章野の風景、静かで穏やかな情景、そして遠雷、 第四楽章、断頭台へ行進、第五楽章ワルプルギスの夜の夢、クライマックスは音楽が低音へと推移していき、やがて最低音、そこで鳴り響く弔いの重低音となる鐘の音へとつながる。舞踏会を過ぎた緩徐楽章でのコントラバスの量感を経験して、誘導された音楽は、おどろおどろしい複雑怪奇な姿を現す。管楽器のけたたましい音楽、ブラスの彷徨。弦楽器にによるグロテスクな音色などなどと1830年作曲、初演された音楽としては本当に前衛のフランス音楽として本領を発揮している。
ベートーヴェンの音楽の中では、古典主義の骨格、そしてロマン派の萌芽が既に内包された音楽になっていた。彼は、形式を土台として精神は、進取のロマン派の音楽であったところが、ベルリオーズ1803~1869の音楽は、純粋なロマン派の音楽として君臨したのであった。メンデルスゾーン交響曲第二番変ロ長調作品52讃歌の初演は1840年のことで、当時の年表をひもとくとワーグナー1813~1883の活躍を始める時期と重なることが分かるのは、興味深い。
アンセルメの音楽、その指揮芸術というと、管弦楽の音色に対する趣向であろう。モノーラル録音時代から、近現代音楽に造詣が深く、ストラヴィンスキーとの親交などからうかがえる如く、きわめて繊細に表現していたことが特徴的である。それは、一定のテンポ感、すなわち、アゴーギグ緩急法としてそちらの注意は、あくまで、一定のものである。その上での音色感に対する指向は、普通以上の注意力と云える。デッカ録音の特徴として、中低域の量感にあり、その上で高音域の華美な音色が印象的と云える。最後の録音が、ニューフィルハーモニア管弦楽団との、ストラヴィンスキー作曲した火の鳥。これは、アンセルメ指揮芸術の総決算であり、幻想交響曲はそのすぐ前の仕事であったのは、決して単なる偶然というものではない。そこのところの評価がスルーされると、凡庸な音楽として片づけられるきらいがある。アンセルメの指揮はしたたかで格調高い音楽、最近では聞かれないものである。