千曲万来余話その448~「美女演奏家列伝ピアノ使徒モニク・アース、未発表音源LPレコード」
1956年3月ライプツィヒでのライヴ録音、モーツァルト、プロコフィエフ、ドビュッスィ、リスト、クープラン、そしてラモーというラインナップ。
彼女はパリ音楽院でラザール・レヴィに師事している。近現代音楽をレパートリーとして、コンサートではオーケストラとの共演やリサイタルに活躍していた。1909.10/20パリ出身~1987.6/9パリ没という生粋のパリジェンヌで、ライプツィヒでのライヴは当時、共産圏での演奏会というから異色のソースでその拍手などからでも、暖かい雰囲気が伝えられてくる。
モーツァルトK330を聴くと、ハスキルと同じ感覚が伝わってきて、フレンチピアニズム、スクールが同じことを実感する。こういう音楽を再生すると嬉しくなるのは、モーツァルトという幸福の共有であり、女流ならではの世界か?と考えさせられてしまう。ただし、ギーゼキングなどの経験を振り返ると、つくづく、その違いこそ、微妙な味わいからして、一刀両断する無意味が想像されて、評論するその意味を考えさせられるというか、評論家を評論できるリトマス試験紙としてのM氏音楽の天才性を、指摘しておきたい。男性や女性、そして猫が鍵盤を踏んじゃっても音は同じではあるが、猫は音楽を演奏できるわけがないことを思い知るべしということだ。音と音楽の違いはそこにもある。
プロコフィエフ1891~1953は、ロシア出身で、ソヴィエトから亡命を選択、そして祖国に永住する決意を実行した作曲家。1918年来日経験もあり、近代音楽の代表である。第7ソナタ変ロ長調作品83は、戦争ソナタ1939-42年作曲として中でも演奏回数の多いもの。ハイドン風の古典的性格からシューマン的抒情という二種類の音楽的感情を混成していてモダニズムの面白い音楽である。アースの演奏は、きびきびしていて、一本筋が通ったプロコフィエフに仕上がっている。東ドイツで披露した演奏、ピアニストとして、本領発揮した録音である。
モーツァルト、プロコフィエフと聴いた後に、ドビュッスィを耳にするとき、彼女のピアノ演奏が出色の出来栄えであることを実感させられる。ピアノという楽器が、その性能を遺憾なく発揮している。ピアノからフォルテまで縦横無尽、何より、色彩感が一杯であることに異論をはさむ余地など無いのである。地味な音色、倍音の充分な味わい、それが働かせる感性の世界は、ピアノ音楽の醍醐味であろう。一般的に、スタインウエイという華麗な音色に慣れている耳にとって、この録音で聞き取れる音色は、渋い。ベヒシュタインの可能性が感じられる。すなわち、クレジットが無いから断定できないのではあるけれど、このディスクの後に、別な録音LPピアノ演奏レコードを再生すると、すぐ、実感できるから、盤友人としては、ベヒシュタインの音色であるのかな?という指摘にとどめるほかはない。香るような倍音世界は、ドビュッスィの一手専売、ピアニズム発揮の独壇場である。映像集第一巻、水に映る影。
それに続くリスト、演奏会用練習曲第二曲、軽やかにクワズィアレグレット1848?頃作曲した音楽を耳にすると、ああ、リムスキー・コルサコフは、1900?頃にサルタン皇帝の物語で間奏曲、熊蜂の飛行を作曲したアイディアでオリジナルの感覚を受ける瞬間に気づく。
クープラン、ラモーの鍵盤楽器のための音楽こそ、フレンチピアニズムの生粋。つくづく、モニク・アースがピアノの使徒として、ヨーロッパで活躍した片鱗をこのLPレコードで再生できる喜びは何にも代えがたいものがある。
ピアノの余韻から、倍音の世界を経験して、その世界を再生するこそ、アナログレコードの使命であり、キングインターナショナルのリリース…