千曲万来余話その447~「フルトヴェングラー指揮、ザルツブルグ54年録音の大フーガ」
ディスココープという非正規録音盤LP、1954年8月30日ザルツブルグ音楽祭、ウィーン・フィルによるレコードをじっくり聴いた。当時、F氏は聴力の劣化に悩まされていて、周囲との会話にも苦労していたという話がある。しかし、演奏には微塵も悪影響など感じられない、雄渾な演奏が記録されているから驚きである。不滅で、入魂のベートーヴェン演奏の代名詞と云える。
ベートーヴェンは、生涯に全十六曲の弦楽四重奏曲を完成している。特に、作品95セリオーソまじめに(標題ではない)以後13年ほど、カルテット作曲から遠ざかり、第十二番作品127から二年間で五曲完成している。その作品130でフーガは終楽章にあたり、後に単独で大フーガ変ロ長調作品133とされた。ロシア貴族ガリツィン公からの依頼で第12(作品127)、13(作品130)、15(作品132)番が作曲されている。作曲順でいうと、12、15、13。第十四番は7楽章形式。第十三番は全6楽章形式。第十五番は全5楽章だ。そして第十六番ヘ長調作品135はB氏56歳の年の作品、最後の大作となっている。
大フーガは第十三番として作曲されていたにもかかわらず、作品の巨大な性格から単独出版されていて、ここでは、弦楽五部による五重奏曲として成立している。コントラバスが6丁使用されていた時、チェロ8、アルト10、第二Vn12、第一は14として、50人編成の規模となるのが通例。ディスココープ盤は非正規録音であるために、コンディションは、最低である。ただし演奏テンションの度合いは最高と云える。わずか、20分前後演奏は、空前絶後の境地に到達している。
フーガ前半の部分は、第一Vnから第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスと横一列並びが想像されて、窮屈感がひしひしと横溢している。すなわち、そこのところでVn両翼配置の場合、指揮台の左右に音楽が整理整頓されて、コントラバスが舞台下手でもチェロ、第一Vnと、音響が確立されたとき、舞台上手側にアルト、第二Vnが展開されて、作曲者のパレットの思い通りであろう。
演奏が進むうちに、ウィーン・フィルのメンバーはヒートアップ、どうなったのかというと、舞台上上手のコントラバスを中心線として、チェロとアルト、第一と第二Vnの間の境界線が出現したかのように、舞台下手側に向かって、左右展開されて音楽は整頓を見ることになる。雄大なフルトヴングラー指揮芸術が、貫徹される。ウィーン・フィルとF氏の壮大なドラマの記録となる。
いうまでもなく、ベートーヴェンの音楽は、単なる聴覚障害というハンディキャップを克服したことにとどまるのではあらず、生きる意志発現の作品である。ムス エス ザイン? エス ムス ザイン! かくあらねばならない! という発信は、音楽芸術の底辺に脈々と流れていて、弦楽合奏の傑作として成立、ここにフルトヴェングラーの記録はディスク化されたといえる。
コンパクトディスクによる音源もあろうかと思われるのだが、基本的にLPレコードの価値を思いいたすがよいだろう、熱気が再生されるのである。デジタルソースでは、再生不可能な世界である。
つくづくF氏のレコードを求めていると、こういう世界に出会い嬉しい。これは、F氏の実演によりB氏の音楽を再生する歓びとなる。心が折れそうになった時、暗闇の世界、そこに音楽を聴く。アナログソースには、高価な費用対効果が、必要とされているがその上の話で、ヴィンテージオーディオには、約束された世界が広がっている。この地平には、ウィーン・フィルハーモニカー、フルトヴェングラー、そしてベートーヴェンと、それを愉しむ人々との一体感こそ、求めるべき音楽なのであろう。