千曲万来余話その445~「B氏弦楽三重奏曲、続々、いい音とは何か?」
モーツァルトは14歳にしてベートーヴェンが誕生した1770年に初めて弦楽四重奏曲を作曲する。B氏が作品18で取り組み、それより以前の作品3変ホ長調では、弦楽三重奏曲を発表。作品9や作品8ニ長調のセレナーデで次々とトリオを完成している。ここでは、アルト=ヴィオラやチェロが重奏の旋律を受け持つ能力を発揮し、音楽として高めている。
ここでは、レコードを再生する歓びとして、楽器の定位ローカリゼーションについて考えてみたい。楽器の配置である。マイクロフォンは、チェロとアルトの位置関係を表現することはできるのであろうか?
ヴァイオリンは楽器の構造からして、f字孔という音響を発信する部分を聴衆に向けるために座席は決定される。そこで、アルトは対面すると考えるのは自然というもので、作曲する上からも、Vnと旋律の掛け合いが試みられている。さらに、チェロはどこに配置されるのがベストなのか?ということも取り組むテーマであり、むつかしい問題である。Vnとアルトと一直線上に並べるのが良いものか?ステレオ録音では、そこのところ、魅力ある問題であり、それは、四重奏の配置を考えるきっかけとなるであろう。すなわち、左右のスピーカーの対話をどのように設定するのか?という問題なのである。左スピーカーがVnというのは、決定的。ならば、右のスピーカーには、チェロなのかアルトなのかという二者択一である。舞台に奥行きというものがあるとするなら、その中央にこそチェロがふさわしく、右側にはアルトがふさわしいといえるのだろう。定位でいうと、Aチャンネル、Bチャンネル、その中央にアルトよりも断然、チェロがf字孔を向けるという設定をするのが正解。だから、レコードの再生にとっては。中央の実体感こそステレオ録音必須の条件であるといえるのだ。つまり、チェロの前でVnとアルトの対話が感じられる再生音こそ、求めるステレオ録音だ。
ここで、ブラームスの生きていた時代、ヨーゼフ・ヨアヒムの弦楽四重奏の絵画を目にする。Vnの内側には、チェロが配置されている図。すなわち、ヴァイオリン・ダブルウィングという言葉が前提とする、第二Vnが右側上手配置の決定的証拠である。
ここで、舞台を直線一列に考えるのが、第一、第二Vn、アルト、そしてチェロという配置。ところが、舞台に奥行き感を醸し出す、中央にチェロとアルト配置、そしてVn両翼配置を設定するのが、作曲者の理想とする配置であろう。このように考えを巡らせるレコード再生こそ、いい音の条件であり音楽の魅力とは、演奏する意思の発現こそ目指す境地である。すなわち、音にではなく音楽のために、オーディオは有る。
四十年近くオーディオの道を歩いてきて、最近つくづく良い音とは、音楽の再生であって、演奏者の音楽性こそ、魅力なのであるという実感である。いい音とは、それぞれのスピーカーは表現しているのだから、スピーカーの数ほどいい音は有る。ところが、どれだけ演奏者の音楽性が表現されているのかというと、疑問である。キレイだという音は多数あっても演奏家の音楽性を表現している再生音は数少ないと云えるのだろう。B氏の弦楽三重奏曲は、どれも、演奏者の気迫が乗っていてこそ聴き映えがする。当たり前というとそうなのだが、それは決して演奏スタイルの問題ではあらず音楽の魅力の問題と云える。演奏の問題でもあり、再生目的の問題でもある。それを的としないオーディオは、未来の無い世界であり、音楽追求こそ的として普遍の価値を持つ究極である。ベートーヴェンは、作品発表の順番として、そこのところをしっかり解決していたといえるであろう。