千曲万来余話その444~「シモン・ゴールドヘルクとミヨコ・ヤマネこしあんが女性的、ならば・・・」
大福というもの、種類は一つだけではなく、こしあん、つぶあんなど大ざっぱに云って二種類はある。何を言いたいかというと、こしあんだけが大福かというと大違いで、粒あんを賞味してその男性的な、ワイルドな味に舌鼓を打つことになる。甘いという一色も、そこに塩梅、塩ぐあいというものがありそれは、こしあんだけでも充分なのだが、そこに粒つぶ感が加わると、世界は奥行きを与えられるというものである。濾すということは、その小豆の殻を取り除くものなのだけれど、その行為は純粋さを目指す。ただし、多様性は無い。ヴァイオリンというと、一色なのだけれど、第一と第二という音域で低音域を演奏する第二ヴァイオリンがあるように、この二種類は、味わいが深い。云ってみると第一は女性的でも、第二は男性的音域の音楽である。粒あんは男性的だ。
ピアノは猫が踏んじゃっても、女性が弾いても男性が弾いても、音はピアノという楽器だから、みな同じピアノ、と言い切るのは、浅はか千万でピアノの音楽は、音一つだけではあるまいに、タッチというものでは女性的、男性的と云えるではないか?すなわち、ピアノは多様な音色を愉しむ、奥深い世界である。だいたいピアノというものは、本来ピアノフォルテと言った如く、二種類の音色を指すものを、ピアノだけで云うのは、片手落ち、フォルテをお忘れなく・・・ということだ。モーツァルトの時代は、クラヴィーアで鍵盤楽器というのが通例で、ヴァイオリンソナタも、クラヴィーアとヴァイオリンのための奏鳴曲ソナタというのが正解である。すなわち、M氏の世界は、ピアノが主体と云えるだろう。彼のケッヘル番号379ト長調第35番はピアノの演奏が印象的である。
1992年7月2日、新潟市音楽文化会館、シモン・ゴールドベルクと山根美代子女史による最後のリサイタルが、LPレコードでキングインターナショナルからリリースされた。
ゴールドヘルクはSPレコード時代から、リリー・クラウスとの共演でモーツァルト演奏の神髄として有名である。彼には協奏曲の名曲を録音していないから、意外に知られていない。彼は1909.6/1ヴウォツワヴェク・ポーランド出身~1993.7/19富山市。1917年名教師カール・フレッシュに師事。12歳でワルシャワデビューを果たし、1925年ドレスデン・フィルのコンサートマスターに就任、4年ほどしてウィルヘルム・フルトヴェングラーの招へいにより、ベルリン・フィルの同地位1929~34年に着任する。1930年にはパウル・ヒンデミット、エマヌエル・フォイヤマンらと弦楽三重奏団を結成しアンサンブルで活躍。そのころリリー・クラウスとも共演している。ゴールドベルクは第二次大戦には、1941~45年にかけて、ジャワ島で日本軍により抑留された経験を持つ。この際、評論家菅野沖彦氏のご尊父が対応されたことは、周知の事実である。そんな彼には、1936年リリー・クラウスと来日経験もあり、1938年にはアメリカデビューを果たしている。1955年には、オランダ室内管弦楽団、音楽監督、指揮者に就任。1969年からはロンドンに居を移しその後ピアニスト山根美代子と結婚、1990年から没年まで日本に居住し、新日本フィル、水戸室内管弦楽団を指揮している。★札幌音蔵の社長KT氏、TY氏は、1992年、ゴールドベルク・ラストリサイタルに足を運んだという。そのライヴ録音が、立派にLPレコード化された。チューニング、音程を下から上に取る取り方、三味線のと同じ感覚で、興味深い。人はよく、ゴールドベルクの音程の取り方の不安定さを指摘することが多いのだが、それはガット弦特有の癖であろう。大変立派な、モーツァルトである。美代子女史は、音楽評論家山根銀二氏のご親戚に当たる。リリー・クラウス、ラド・ルプー1975年コピーライトのモーツァルト、ソナタ全集などを経て、生涯の伴侶とした美代子女史のピアノ演奏は、いかにも、女性的である。フラームスの第一番、第二番のソナタと、ゴールドベルクの剛毅なヴァイオリンとともに、寛いだ感の演奏レコードは、彼の人生を象徴して、意味深いものがある・・・