千曲万来余話その442~「ハスキルとフリッチャイ、織姫彦星伝説のこころみ・・・」
1952年5月30日ケルン放送交響楽団フリッチャイ指揮、ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K459がクララ・ハスキルにとって、ドイツで演奏を始めた頃の出会いだったようだ。その後1953年1月20日、ベルリン放送交響楽団と共演、1955年9月21、22日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とドイツグラモフォンLP録音を果たしている。
チャールズ・チャップリンは1953年11月、初めて出会ったクララに、貴女あなたはとても素晴らしく偉大な芸術家ですという言葉を贈っていたという。
1954年には、フリッチャイと彼の細かい気配りによる指揮で気楽に弾くことが出来、しかも、彼は彼女の弾き方に共感していたようだった。まるで魔法にかかったように突然ピアノで魅力的な歌を花咲かせてくれたというのはF氏の言葉で、共演している時でもクララの演奏を聴く時でも限りない喜びを享受していたとも語っている。
ハスキル1895年1月7日雪の降りしきる日ブカレストに生まれた。ユダヤ系のイサクを父に、ベルタ・モスクーナを母に誕生している。クララは自宅にベーゼンドルファー、グランドピアノがあり、耳の良さと指使いに非凡な才能を発揮していたという。叔母の名を受け継いでいても、ピアノのレッスンや語学の学習を通して幼少を過ごしていた。そんなクララの無二の存在はディヌ・リパッティであった。ディヌの早逝を乗り越えていて、フェレンツ・フリッチャイやラファエル・クーベリックとの共演、彼女の演奏活動は幅を広げていった。
ピアノ協奏曲第19番は弦楽五部と木管楽器、フルート、オーボエ、ファゴットそして、ホルンという管弦楽との協奏曲。まるで野原に遊び、小鳥のさえずりと交わす会話のような歌の第一楽章、幸福感の横溢する音楽になっている。フリッチャイ1914.8/9ブダペスト~1963.2/20バーゼル、彼の指揮は歌に溢れているところに心を打たれる。オーケストラの演奏者たちは、喜々として演奏を披露していて、それは、開始の弦楽合奏からすでに明らかである。
モノーラル録音、楽器に近接した捉え方になっていて、ハイファイ録音に近いものがある。ピアノの音は輪郭が明確で、ハスキルの演奏は錦上華を添えている。このような演奏は、稀で、希少価値充分、不滅の記録とはこのディスクに相応しい言葉である。
7月31日、火星は地球に最接近5758万9633Kmという距離で、南南東、山羊座と射手座の中間部に見える。その右側に土星、少し離れて木星、西の空には宵の明星として金星が並び、惑星のラインナップはそんなに見られない星空ではある。
北から南にかけてミルキーウエイという銀河の星空、中空には琴座のベガ、わし座のアルタイルという織姫と彦星、1年に一度の逢瀬が準備されている。一期一会という悠久の流れに、一瞬の出会いは、ドイツグラモフォンのレコードに閉じ込められていて、その再生の悦びは、何物にも代えられない珠玉の贈り物と云える。ハスキル、フリッチャイこの二人のモーツァルトの魂は、味わい深い、夜空にきらめく星座のハーモニー、二度と無い奇跡の音楽になっている。エアというのは、空気、旋律メロディー、ともに人生を彩るあそび、いとなみ、音楽の再生は、音響による時間の芸術。
1960年12月にはクララが、1963年2月にはフェレンツがそれぞれ天に召されてしまう。見上げてごらん、夜の星を、小さな星の、小さな光がささやかな幸せを、歌っている ・・・