千曲万来余話その441~「Nejiko Suwa諏訪根自子とは何か? LP鑑賞メモ・・・」
今、札幌では夏祭りとして狸まつりが、ぽんぽこシャンゼリゼという狸小路で開催されている。七丁目ビルディング2Fの映画館で、フジコヘミングの時間を鑑賞した。
この115分ドキュメンタリーは、ピアニスト、フジコ・ヘミングの半生を紹介した佳品。彼女は私のラ・カンパネルラを他の演奏と聴き比べてほしいと願っている。それは自分の演奏に対する自信の表れ、絶対的確信からそのように発信する。だれとも異なる演奏というのは、彼女の演奏スタイルを古いとする評論に対するアンチテーゼであり、一時代前と言う見当違いの評価に対する反論である。それほど確立されたスタイルに、自信を表明するのは、彼女がブレイクした二十年前の現象へのなせるわざ、六十年余り艱難辛苦に耐えたピアニストの揺るぎないプライドというものであろう。
1999年CDデビューにより、それまでの耐えた年月を乗り越え、大ヒットしたのは、魂のラ・カンパネルラ。アドルフ・ヒトラー政権樹立の前後、ベルリンでロシア系スエーデン人を父に、そして日本人投網子とあこを母にして出生、生年非公表、その経緯は複雑なのだった。幼少のころから母の弾くショパン夜想曲を耳にして育ち、ピアニストとしてのキャリアを積み重ねるも、不遇の中から獲得したブレイクにして彼女はワールドコンサートツアーを企画する程の地位を確立した。印象的なのは、ストリートで施しをする彼女の姿、そして愛猫とのコミュニケイション、スタンディングオベイションする聴衆のシーン、ピアノのクレジット、それらのカットを通して浮かび上がるのは、フジコヘミングの成功サクセスストーリーだ。ピアニストとして、リスキーな協奏曲での演奏もあるにはあるのだけれど、確立した実績には、敬服するに値する。
本題に戻ると、キングインターナショナルから最近リリースされた、日本コロンビアSPレコーディングのコンプリート全集二枚組LPレコード1933~35年録音の演奏者十五歳前後の記録である。ドヴォルジャーク、ユーモレスクに始まりシューマン、トロイメライで掉尾を飾るSP復刻、LPレコード。丁寧なレコード作りが音を耳にして伝わるのだけれど、たとえばティボーの復刻などとは、ポリシーが異なる。確かに、耳当たりの柔らかい復刻、その紙一重に、SPレコードの魅力はそがれているとも・・・無いものねだりではある。
根自子1920~2012は、1924年エフレム・ジンバリストの演奏会を聴いて、名教師小野アンナの門を叩くことにる。当時の門下生には巌本真理。1932昭和7年にはセーラー服の出で立ちで初リサイタル、神童と持て囃されたという。SPレコーディングはその翌年から開始されている。1943年には、ゲッペルスから1722製ストラディバリウス(真贋?)を貸与されて、同年ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルとブラームスのコンチェルトを共演している。1946~1960には花形ソリストとして活躍するも、その後は幻のヴァイオリニストとして第一線を退いている。
クライスラーのプニャーニ形式、プレリュードとアレグロを聴くと、上田 仁(masashi)のピアノ伴奏などと華麗である。ナディダ・ロイヒテンベルクの伴奏も、豊麗な音楽で、錦上華をそえている。ソリストが十三~十五歳というのは驚きで、そういえばハイフェッツのSPデビューも七、八歳であったように、神童はそういうものなのかなあと、認識を新たにする。彼女の録音使用楽器は鈴木政吉のものというクレジットもある。滑らかな音色、豊かな裏板の鳴りが刻印されている。
SP盤を収集するもよし、LP復刻レコードで彼女を鑑賞するのも、さらに素敵なひと時ではある・・・ジャケット、根自子のポートレートも美麗この上なく、キングインターナショナル万歳!