千曲万来余話その434~「メンデルスゾーン、夏の夜の夢ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニック」
前回、テノールの人名で、ミヒャエルという読み方をした時、すかさず、1940年イリノイ州出身という情報をKH氏からいただいた。すなわち、ドイツ風発音ではなく、マイケル・カズンズという指摘。確かにライトナー指揮のバスフ録音から読み方の判断を下したのだが、ネットなどでは、米国出身者ということからそれは誤りで、マイケルということだった。盤友人もそのように判断せざるを得ない。人名は、ドイツ風かネイティブか?で、かなり、違いを見せる。マルタ・アルゲリチという女性ピアニスト、1941.6/5ブエノス・アイレス出身から正確には、ネイティブでアルヘリチが自然なのだがドイツ風であると、アルゲリッヒ、現在の日本では、アルゲリチが通例となっている。30年くらい前、盤友人はブルーノ・レオナルド・ゲルバーに直接楽屋を訪問してたずねたことがあり、友達である彼は、アルヘリチとそのように発音していた。通例とも異なる事例でありむつかしい。
フェリックス・メンデルスゾーン、バルトルディ1809~1847彼は銀行家の家庭出身といわれていて、幸福な身分だったと伝えられている。わりと短命でも家系は現在にも続きオーレル・ニコレやチェロの藤原真理らとともに、カントロフのVn、そのM氏直系がアルト奏者というデンオンにモーツァルト、フルート四重奏曲録音もある。
十代で、シェークスピア劇によった序曲を作曲して、17年後、第一曲スケルツォ、第七曲夜想曲そして結婚行進曲を、抜粋した組曲版がこのレコードである。緩徐楽章として、ケンペは二曲目に夜想曲をもってきているのだが、スケルツォを先にする順番もありではある。
序曲では、開始の管楽器によるハーモニーを耳にすると、ああ、リムスキー・コルサコフは千夜一夜物語、シエラザードを作曲したな・・・とか、その後の弦楽器演奏部分を聴くと、ブルックナーは交響曲第四番ロマンティシュを作曲したなとか、なによりも結婚行進曲を聴くとき、ワーグナーには、歌劇ローエングリンがあったな、などなど、夜の夢は走馬灯の如くである。だから、メンデルスゾーンの音楽は、その管弦楽法の影響力に大きなものがあるのだということが知れてくる。それくらい、インパクトに強いものがある。★以前、坪内逍遥の解釈によるものなものだったか、真夏の夜の・・というものであったのだが、現在の訳によると夏の夜、すなわち、ミッドサマーを夏至という解釈により、夏の夜の夢、というのが定説。今年は6月21日。今頃の物語で、恋人同士は夢から目を覚まして初めて出会った者同士という恋愛劇。恋愛とはそんなものと云うシェークスピアの諭、機知ウィットが、たくまずして効いているコメディー。
ルドルフ・ケンペは、トーマス・ビーチャムの指名を受けて、1961年にロイヤル・フィルハーモニーの指揮者に就任、創立者ビーチャムの絶大な信頼、推薦があったということである。演奏内容も特筆すべきはその楽器配置である。第一と第二Vnを並べる当時の主流に対して、ビーチャム自身も頑として並べる派だったのであるのだが、ケンペはその両方で録音を残している。すなわち、二刀流ツーウエイであった。これは、メンデルスゾーンの管弦楽法から如実に判断可能なことなのだが、作曲者の前提は、第一と第二Vnを前列にしてその中央にチェロとアルト配置、コントラバスは指揮者の左手側がベストだということである。なにより、合奏アンサンブルの緊張感がよく伝わり、低音から高音へと舞台で左右に音楽が渦を巻く受け渡しなど、聴きものである。ケンペの統率力は揺るぎなく、清潔で、透明感に溢れなおかつ雄渾である。当時には、彼が英国楽壇から脚光を浴びていた様子が録音された、貴重なレコードの一枚だといえる。