千曲万来余話その433~「カルミナ・ブラーナ、ライトナー指揮ケルン放送響で聴く」
中世音楽合唱曲の歌詞を採用カール・オルフ1895~1982が1937年に作曲したのが世俗カンタータ、カルミナ・ブラーナ。運命の女神よ、で始まる管弦楽とコーラスによる壮大な音楽で、ラテン語によるというところが、肝である。つまり具体的な英語や独語、日本語に訳すると差しさわりが有るらしい。直訳すると放送禁止になるといわれるくらいのものだから意味深長だ。
19曲男声合唱、もし若者が乙女と一つ部屋にいたなら・・・愛はきっと深まるに違いない→こうくると、もうウハウハ、まじめな顔して必死に歌うのであるからして推して知るべし。20曲来たれ、来たれ、御美人よ、薔薇より赤く、百合よりも白し・・・21曲心が秤の上で上下…23曲私は全てをあなたに捧げます、ソプラノ独唱、24曲ブランツィフロールとヘレナ、高貴なる女神よ→ここで合唱はクライマックス、最高音を爆発させる。おそらく、オーディオ機器では音量が相対化されて生の感覚のようには獲得できない趣・・・
フェルディナント・ライトナー1912.3/4ベルリン生まれ~1996.6/3は、作曲をフランツ・シェーカー、指揮法をユリウス・プリューヴァーだからブラームスの孫弟子にあたる。1974年コピーライトのケルン放送交響楽団、ソプラノはルート・マルグレート・ピュッツ、テノールはミヒャエル・クーシン、バリトンはバリー・マクダニエル、バスはローラント・ヘルマン、ケルン放送合唱団、テルツ少年合唱団、合唱指揮者ヘルベルト・シェルヌス。録音監修カール・オルフ。
カペルマイスター楽長ともいわれる職人型指揮者で、玄人受けするライトナー、このLPレコードを再生してすぐに伝わるのは、ゆるぎないテンポ感、緩やか、軽やか、粘り、伸縮自在の安定感である。さすが、ドイツ人指揮者の典型、謹厳実直であり、そのカルミナ・ブラーナであって、彼の芸術性は温故知新というか、正統性の高みにある。健康、不健康を超えて、愛すべき音楽の一つであろう。
1981.7/28、第217回札響定期7月カルミナブラーナ公演、ソプラノ常森寿子、テノール鈴木寛一、バリトン大島幾雄、澄川西小学校合唱団、札幌放送合唱団、指揮、岩城宏之。1977年から後の10年間ほど、合唱指揮を宍戸悟郎が担当して合唱曲が定期演奏会で取り上げられた。これは、マエストロ岩城のアイディアでゴロウチャンにまかせればOK!ということで実現された。ドビュッスィ、ブラームス、ハイドン、オルフ、ヴェルディ、フォーレ、デュルフレといったラインナップ、管弦楽と合唱の大曲が1年ごとに取り上げられた。バッハのロ短調ミサを指揮秋山和慶で、マーラーの千人交響曲も高関健の指揮で初演されている。
札幌厚生年金会館が主流、旧札幌市民会館では、ラヴェルのダフニスとクロエの全曲演奏にも取り組み、最大級の音量を披露したこともあった。指揮者岩城と札幌での活動は破格だった札幌放送合唱団。秋山指揮バッハの演奏会では立見が出るほど、札幌の愛好家に支持されていた。
盤友人は昭和46年春に文芸誌新潮特別号を彼に送り、返信をいただいたことがある。気合の入った、オール武満プログラムによる定期公演、ストラヴィンスキー三大バレエ曲キタラ演奏会、メルボルン交響楽団アルプス交響曲演奏会、走馬灯の如く八面六臂の活躍に、光陰矢のごとし、6月13日は、彼の13回忌命日、昭和43年5月バンベルク交響楽団を率いて、ウェーバーのオベロン序曲、リヒャルト・シュトラウス交響詩ドン・ファン、チャイコフスキー第五交響曲で舞台に立っていた。ドンファンの管弦楽の煌きをこれからも忘れることはできない。カルミナブラーナを歌い、舞台の醍醐味は、頂点に達したといえるだろう。オーディオの土台に、音楽体験あり・・・