千曲万来余話その431~「ブルックナー交響曲第八番、ハイティンク指揮SKDとは何か?」
ベルナルト・ハイティンクは、押しも押されもせぬ巨匠、大物指揮者の一人である。2002年12月3日ライヴ録音がLPレコードとしてキングインターナショナルからリリースされている。
ハイティンクはフェルディナント・ライトナーに才能を見出され、1956年27歳で指揮者としてデビュー、当時アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者ベイヌムから彼は代役を依頼されて成功し、キャリアの第一歩がスタートした。1961年には、ベイヌム急死を受けてCOAの1964年以後、オイゲン・ヨッフムの後継、常任指揮者兼音楽監督として1988年まで長きにわたり、その大役を果たしている。
彼の芸風は、二十世紀後半としてのスタイルの典型である。前半にはハンス・クナッパーツブッシュという怪物指揮者が居て、なにも風貌のみならず演奏スタイルのことを指摘しているのではあるのだが、一癖も二癖もあるブルックナーで、一筋縄にはいかない指揮芸術を記録している。テンポの伸縮が自由自在、オーケストラが一糸乱れずにアンサンブルを披露するというのは、一時代前の芸術である。クナッパーツブッシュのそれは、無二のスタイルで、決して余人の追随を許すような、やわなブルックナーではない。魅力たっぷり。ところが、ハイティンク指揮によるブルックナーを聴くと、どこかハイドンの交響曲を聴くときのような感覚に襲われて、ワーグナーの大見えを切るような風情を経験することは無い。それをもってして、ブルックナーではないというのは、クナの毒にやられたことになるというものであろう。ハイティンク指揮のブルックナーもまた、今や巨匠風のブルックナーといえるのである。
シュターツカペレ・ドレスデン、国立歌劇場管弦楽団は、歴史をさかのぼること、四世紀、16世紀半ばザクセン選帝候モーニッツによる聖歌隊へたどり着くという。ドイツ国民オペラ運動の源流、ウェーバー楽長就任を経て魔弾の射手の初演、ワーグナーという大作曲家の作品、リエンツィ、さまよえるオランダ人、タンホイザー初演といった数々を果たした歴史がある。世界最古の歴史を誇るというコピーは、誇大広告ではないのである。管弦楽団としては、西のウィーン国立歌劇場管弦楽団と、東はシュターツカペレ・ドレスデンという横綱格である。
どこがすごいのか?それは色々あるのだが、音程感、ピッチの純正調を誇ることは、共通項として、はずせない。弦楽五部の演奏者数が、六十人の時、それぞれの楽器奏者の音程は均一であり、それはどこの管弦楽団でも求める姿なのではあるのだが、演奏者使用する楽器のメーカーとか、年代物とか、その均一性を誇れる楽団は、そうあるものではなく、ウィーンとか、ドレスデンとか限られた管弦楽団にしか味わえない世界なのである。
ハイティンクが、そのシュターツカペレ・ドレスデンを指揮するというのは、誰でもが可能な技ではなくて、それなりの歴史があるというものであろう。第八番ハ短調は、どこか、ベートーヴェン第九の緩徐楽章と同じく、第三楽章にピークがある。管楽器の名人芸、それは、合奏能力の均一性にある。個人的な名人芸ではなくて、アンサンブルの上で、トータル総合的にブルックナーの神秘的な音楽を体験することになる。
BH指揮芸術は、テンポ感を一定にして、余り伸縮感を感じさせないところにある。それは、オイゲン・ヨッフムの芸術とも一線を画す。フレージングでいうと、音楽と音楽の受け渡しの緊張感を発揮して、なおかつ、テンポを不動の感覚。リタルダンドをかけないで維持するというものである。このことに気が付くと、ハイティンクは既に巨匠の風格を獲得したというのは、今や遅し!いつのまにか感すらあるのは、広く共有される感覚なのかもしれない。シフォンケーキのような風味で・・・