千曲万来余話その430~「ハイティンク指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるブルックナー六番」
キングインターナショナルのリリース、ドレスデン・シュターツカペレが演奏するブルックナー。ドから数えて六番目はイ長調の主音になる。1883年の早々、ウィーン・フィルハーモニーの総練習で第六交響曲を作曲者が聴いた唯一の機会であった。彼の作曲した交響曲は、楽譜校訂の問題が付きまとい、原典版というものが貴重であるのだが、第三者により手を加えられたものが多数である。この第六番イ長調も、全曲の演奏は彼の死後1899年2月26日マーラーの指揮によりなされる。中間両楽章は、1883年2月11日、作曲者は嵐のような喝さいを受けて何度も呼び出されたと報じられたように、ウィルヘルム・ヤーンの指揮で初演された。
交響曲でトロンボーンを最初に採用したのはベートーヴェン、1808年作の第五番運命、第六番田園交響曲であった。ということは、ハイドンやモーツァルトの交響曲では使用されていないということである。ブラームスは、4曲全てに使用している。トロンボーンというと、葬送の音楽にはつきものでモーツァルトのレクイエムなどが有名だ。ベートーヴェンの使用法としては、葬送と云うよりもハ短調交響曲では、凱歌、勝利の音楽として使用されているといえるだろう。ブルックナーでも活躍している。
1879年10月頃、彼には第六交響曲の楽想が浮かび上がっていたという。弦楽五重奏曲完成の頃。受難劇、エルサレムの乙女たちに出演していた17歳のマリア・バルトルにプロポーズ、叔母から断りを告げられたというエピソード、B氏56歳の事だという。彼はオルガン演奏に努めたのだった。
第一楽章マエストーソ、荘厳に、第二楽章アダージォ緩やかに、自由に、第三楽章スケルツォ、速すぎずに、トリオゆったりと、第四楽章終曲、動きをもって、しかし速すぎずに。四楽章の中でも、第二楽章は一際異彩を放った音楽になっている。弦楽五部の前奏から、神秘的でなおかつ、天国的である。
ベルナルト・ハイティンク1929年3月4日アムステルダム生まれは、オイゲン・ヨッフムと共に、アムステルダム・コンセルトヘボウの常任指揮者として、長らくそのポストであった。1989年、ドレスデン・シュターツカペレを指揮して、フィデリオを録音、その後緊密な関係を築いて、2003年11月2日ゼンパーオーパーにおいて、このライヴ録音が出来ている。ハイティンクの指揮は、正統派的ともいえる、風格ある巨匠性のある音楽を提供する。現在、彼の演奏会ではVn両翼配置が実践されている。どういうことかというと、彼をしてオーケストラ弦楽器配置のファッションは、過去のスタンダード録音とは異なるということ。なおかつ、過去の音楽の否定と言うか、アウフヘーベンというか、彼としては、過去の録音を記録に過ぎないというとらえの上で、現代のコンサートを実践しているに過ぎない。残念なことに、この録音ではそこのところ、その通過点記録に過ぎないのだが、悪い音楽ではなく、良い録音である。オーディオの観点の一つ、定位、ローカリゼイションとしては、第一と第二ヴァイオリンによる左右コントラストの実現は、歴史的必然である。
ステレオ録音において、左右対称として高音域と低音域という音響的なファクター、素人にもよくわかる高い音と低い音という基準があったのだが、それから抜け出たところ、複旋律ポリフォニー音楽の旋律対比という観点を取り入れると、作曲者の、ハイドン以来のシンフォニー、三声部交響の音楽醍醐味は、獲得されるということなのである。単に復古趣味を超えた、原点回帰、すなわち、保守主義の台頭にあらず、革新的な慣れの演奏からの脱却に過ぎない。ハイティンクはその本流を進み、このLPレコードは、過渡期の産物といえるのだろう。