千曲万来余話その428~「詩人の恋、驚異の人F・ヴンダーリヒというテノール」
フリッツ・ヴンダーリヒ1930.9/26クーゼル~1966.9/17ハイデルベルク、彼はドラマティックというより、リリック抒情的テノール歌手といえる。フライブルク音楽大学出身で1954年州立歌劇場でモーツァルトの歌劇魔笛、タミーノ役でデビュー、1955年シュトゥットゥガルト州立オーパー座付き歌手として契約、1956年ハープ奏者エヴァ・マングニッチュと結婚、三人の子息に恵まれてミュンヘンにて活動する。1962年ウィーン国立歌劇場にデビューし翌年には座付き歌手として没年まで在籍していた。ラストレコーディングは、ドイツグラモフォン、シューベルトの連作歌曲集、美しき水車屋の娘で、フーベルト・ギーゼンによるピアノ伴奏だった。1965年10月11月には、ミュンヘンにてシューマン、詩人の恋を録音、不滅の名録音となっている。
うるわしくも美しい五月に、すべてのつぼみがほころび染めると、私の心の中にも、恋が咲き出でた/うるわしくも美しい五月に、すべての鳥が歌い出すとき、私はあの人に打ち明けた/私のひそやかな想いを/ハインリヒ・ハイネ、詩人の恋、作品48第一曲。
ロベルト・シューマン1810~1856、没年にブラームスは23歳の時で同年にハイネの死をも経験している。S氏は、歌曲の年ともいわれる1840年、9歳年下のクララと結婚、詩人の恋を作曲している。1うるわしく美しい五月に 2私の涙はあふれ出て 3薔薇や百合や鳩 4私がきみの瞳を見つめると 5私の心を潜めてみたい 6ラインの聖なる流れの 7私は恨むまい 8花が、小さな花が分かってくれるなら 9あれはフルート、そしてヴァイオリン 10かつて愛する人の歌ってくれた 11ある若者はひとりの娘に恋をした 12まばゆく明るい夏の朝に 13私は夢の中で、泣きぬれた 14夜ごと私はあなたを夢に見る 15昔々、童話の中から 16昔のいまわしい歌ども
終曲のお仕舞いは、80秒ほどのピアノ後奏をともなう。曲集のピークは第7曲の私は恨むまいで、最高音を歌う。ただし、バリトン歌手用に最高音の一音前には同じ音高で通過する楽譜もある。テノール歌手により歌われるときには、ドラマティックな効果に、胸を打たれることになる。
歌曲、シューベルトやシューマンにかぎらず、歌詞の理解は必須であろう。音楽を聴くときには、すべてスルーして鑑賞するのだが、すなわち、対訳を片手にレコードを再生することは、特別、そうするとはかぎらない。純粋に聴くことに集中する時、歌詞はすでに予習していることに越したことはないのだが、それにこだわることもないだろう。どういうことかというと、音楽鑑賞には理解するという他に、味わう、感性により受け止めるという側面が働いているからである。中国の書の世界、日本での臨書の他に、近代詩文の書など、理解するのではなく、作品の印象を大切に鑑賞するのに似ている。
よく、クラシック音楽の場合、私は分からないので・・・という言葉に出会うことしばしばなのだが、音楽鑑賞は分かる分からないではなくて、良いか悪いか、好きか嫌いかしかないだろう。分からないという言葉には、苦手意識が働いているから、遠ざけるきらいがある。盤友人は感性を働かせて、理解ではなく、受け止める努力を働かせている。それが好きか嫌いか?だから、指揮者の解釈、とりわけ指揮法も、理解するのではなく直感を働かせて鑑賞している。音楽の前に指揮者が立ちはだかるのではなく、彼がエアの存在になること、空気というのは意識するのではないのだが、必要とするものだから、フリッツ・ブンダーリヒの歌声を再生することなど、至福の世界に遊ぶことこそ、目的と云えるのである。ロマン派こそまさに、永遠なるものを求める芸術の当を得た世界だろう。シューマンやハイネと一体化したヴンダーリヒ、彼の芸術は、二十世紀の奇跡だろう。