千曲万来余話その426~「ブルックナー交響曲第3番エーザー版でなく第二稿採用」
クーベリック指揮バイエルン放送響はエーザー版により録音されていて、札幌での五月演奏会では、指揮者プレトークがなされ、第三者介在の改訂版ではなく作曲者自筆版校訂による楽譜採用により、演奏された。
弦楽器配置は、指揮者左手側コントラバス、チェロ配置、ヴァイオリン・ダブルウィングという定期演奏会に稀な配置型採用による。すなわち、現役指揮者により、最近流行による配置で、盤友人にとっても嬉しい採用だ。演奏会では7人のコントラバスが入念にサウンドチェックがなされていて、通例指揮者右手側Cb配置よりも第一Vnの背面に存在感がある。音響的に観てもピュアトーンの獲得に有利なもので、ヴィオラ=アルトと第二Vnの弓遣いが揃っていて、見た目も美しいことこの上ないという最近の流行の最先端、指揮者の功績は大で、かくあるべしと溜飲を下げる。
第二稿楽譜の採用も、確信の上に、自信あふれた指揮ぶり、整然と展開されていてトランペット首席を終演拍手返礼へ真っ先にスタンド指名していたのも印象的だった。
盤友人は四十年前の旧札幌市民会館演奏を聴いていて、当時の印象は、トロンボーンやトランペットの鮮烈な音色に、ロック音楽を想い浮かべたものだった。ヴァイオリンの音色からして、冬にキラキラ光る雪が舞う印象を与えられたもの。神秘的で雪が降ってきた~という旋律がなぜか、印象に残った。
今回、ホルンの配置に違和感を覚える。なぜなら、楽器の構造からしてステージ上手配置が自然、フルートとの掛け合いからして右左というコントラストも必要であり、そこのところ、現在のホルンが指揮者左手側に配置されるのはクレンペラー型で、クーベリックの録音盤は右スピーカーにホルンが聞こえてくる。内声部アルト、第二Vnの奥にホルンやトランぺット、トロンボーンは配置されてバンダを形成、舞台中央にティンパニーは正解なはずである。
楽器配置には、演奏者の慣れという大問題がある。ただ、シューベルト未完成交響曲での開始、オーボエとクラリネットの斉奏ユニゾンからして、オーボエの背面にクラリネットが望ましくて、フルートの背面はファゴットこそ、相応しいのだ。現役のプレーヤー達には、なかなか支持されないだろうけれど、ドレスデン・シュターツカペレ、フリッツ・ブッシュ指揮の映像を見ている盤友人にとって、自然なのだ。第一Vnの奥にチェロが配置されるがごとく、ファゴットの音楽はフルートにとって、合わせやすいはずである。そのバランスの上でオーボエに向かって右側にホルンがいると、音響的に、量感ボリュームか豊かなステージ上手が完成する。だから、舞台指揮者右手側コントラバス配置に慣らされている現代の有り様は、慣らされているだけなのであって、克服されるべき課題なのだろう。第一、ピアノを弾く時と同様に、指揮者にとって左手側でコントラバスほど自然な配置は無いのである。
ブルックナーの交響曲第二楽章は、ゆったりとしていて、美しいことこの上ない。あたかもヘンデル、オラトリオ救世主メサイアに出てくる音楽の様である。ワーグナーに献呈されているのも納得が行く。
第三、第四楽章は整然とされるうえに、36.5度よりわずか、43度位が熱すぎずの熱演になるのだろうか?オーケストラの指揮というのは、大変で、その存在感が印象の下に来た方が嬉しい。プレーヤーの演奏を上とするのは、名人芸で、その点、ラファエル・クーベリック指揮は模範的であろう。音楽の演奏はオーケストラプレーヤーだという事実、指揮者が前面に出てくるのは、ハードルが高い要求で、クーベリックはその境地を記録しているといえる。旋律とはエアーとも・・・