千曲万来余話その421「ヴィオラ=アルトの名演奏、ダウンズによるEMI盤」
平成29年ドラフト会議一位指名ルーキー清宮幸太郎の一軍六番DH二回裏初打席三球目、ホームラン性の打球、センターフェンス直撃の時ライト外野自由席に居て鳥肌が立ってしまった。
いつもならテレヴィ観戦だけれど、5/2は特別な日である。セブンイレブンでチケットを購入して夕方五時から札幌ドームで4時間ほど過ごした。
この同時感覚こそ、オーディオ記録ディスク再生の目的と一致するものである。綺麗なだけの音響にあらず、生々しくて音楽性の表現を受け止められる再生こそ、目的とする醍醐味であろう。ヴィオラ=アルトという楽器は、ヴァイオリンと同じ形なのだが、GDAEという調律チューニングと異なり、CGDAという具合に中音域担当、ハ音(アルト)記号で記譜された楽譜を使用する。ト音記号より低めの音域に相当する。第二線がG一点ト音に対して第三線がC一点ハ音ドの音になる楽譜を使用している。読譜といって、C管、実音の楽器は移調しないでそのまま読むのだが、例えばBフラットの楽器、クラリネットなどの場合、ニ長調楽譜で実音がハ長調の音楽になる。アルト記号楽譜の場合、ト音記号楽譜でロ長調の感覚、フラット記号はネグレクトして演奏すると、移動したドレミファで読みハ長調の音楽になる。
多分、サイト観察者の諸姉諸兄のみなさまには、チンプンカンプンであろうと予想されるので大変失礼!ではあるのだけれど、これをクリアできると、楽器を演奏する人の感覚が理解できる。★話を楽器のアルトにもどすと、中音域の楽器というわけである。ただし、ヴァイオリンは音響が楽器の上へと向かう方向と、楽器裏板が響く方向、下の方向という二つの方向性があるのに比較して、アルトは上の方向一つである。どういうことかというと、ギターという楽器、胴体は表面が音響的に共鳴して、裏の板は演奏者の身体が触れても構わないのと同じ原理である。
EMI録音でジャクリーヌ・デュプレがB面でチェロの音楽、そのA面はハーヴァード・ダウンズ演奏のアルトの音楽。ただし、両面に共通するのは、チェンバロ、ピアノ、パイプオルガン、ハープ、ギターなどと伴奏する楽器は変化している。このディスクで、チェンバロ伴奏の次に、パイプオルガンが演奏されるとき、それは驚きを禁じ得ない。実際の演奏会では、滅多に実現されない組み合わせであるからなのだけれど、それは、レコード再生芸術の醍醐味である。そこのところ、コンパクトディスクでは、決して表現されない、アナログ音盤ならではの世界、クリケットレコードに在庫はあるとのことで、お買い得である。パイプオルカンの記録としても秀逸で、足鍵盤スウェルの独特の再生音は、聴いてその手応え感は、聴いた人にしか分からない世界、微妙な表現ではあるのだけれど、その驚きに鳥肌が立ってしまうほどだ。
アルト演奏の伸びやかな音楽に、溜飲の下がる思いをする。裏板の水平な感覚は、響きが上へと向かうのが見えるかのようで、実に楽しい。先日、アルプス交響曲の演奏会で、P席というパイプオルガン下に着席した人は、アルトの音が大変よく聞こえて、楽しかったと言っていた。正面客席に座るより、オーケストラの奥に座った座席は、アルトが一段とよく聞こえるのは、そこのところ楽器の構造からきているのだ。
いずれにしろ、楽器を充分に鳴らしている演奏は、聴いて胸のすく思いがする。目をつむり、その前で楽器の方向性が感じられるようにレコード再生を追求、向上させることにより一段と高いオーディオ世界が広がるというものである。演奏家の演奏と同時体験の感覚こそ、求める最高の境地ではなかろうか?風は吹いてくる・・・