千曲万来余話その420「アルプス交響曲、時代は多様性・・・」
26日札幌でもようやく桜開花宣言、4/27新しい首席指揮者就任記念定期公演モーツァルト交響曲イ長調K201、R・シュトラウス、アルプス交響曲を聴いた。演奏会でこの作曲家のカップリングは、とても相性が良い。
コントラバスが4挺で前半の演目、アルプス交響曲では8挺で演奏された。つまり弦楽は四十人でモーツァルトが演奏され管楽器はオーボエとホルンで二管編成。セッティングはオーボエの向かって左側にホルンが配置された。これはコントラバスがオーボエ側にあるためで、下手側に配置されていたならば、逆側に配置されるのだろう。ということは、ホルンの音響をベル側に広がると発想すると、それは舞台上手側配置が理想だから、第一Vnとチェロ・コントラバスが指揮者左手に展開し、アルト・第二Vnが指揮者右手側に居てその奥にホルン、という配置が作曲者のパレットのはずであると指摘しておこう。
ヴァイオリン奏者二十二人の右手ボウイングを観察していると、手首の柔軟性に差異が見受けられた。しなやかな運動性を発揮している女性奏者に注目していると、手首の高さの保持が秀逸でなおかつ、音楽的にスムースなアップダウンで演奏されている。そこのところ、見ものだ。
アイネアルペンシンフォニー作品64、指揮者は前日リハーサルトークで、お聴きの方は散歩ウォークを楽しんでください、疲れないように!と発言していた。100人余りの四管編成、パイプオルガンも活躍していた。頂きに登頂して、女性首席オーボエ独奏の旋律、第一第二ヴァイオリンは静かにトレモロ、Vnがステージの両袖に展開していると、どんなにか、素敵なことであろうと、つくづくそう思わされる音楽である。さらに、下山していく途中の、フルート四管による斉奏ユニゾン、さらにクラリネット四管が加わるとき、作曲者はフルートの向かって右側に配置されている音楽を想定していたに違いないと思われる。音響は広がるのだが現実は、ヴァイオリンが舞台下手側に束ねられているし、フルートやクラリネットも下手側に束ねられていて、聴いていてまことにつまらなく感じる。
ルドルフ・ケンペは1961年にロイヤル・フィルハーモニーのバトン、常任指揮者をトーマス・ビーチャムから受け継いで、色々あった後、66年4月アルプス交響曲を英RCA録音、6月にロイヤルの称号は女王から許諾を得た。素晴らしい演奏が記録されている。
左右のスピーカーは、それぞれにヴァイオリンの音が聞こえることは、重要なポイント、すなわちコントラスト左右対称となるべきは、ヴァイオリンとアルトではあらずで、第一Vnと第二Vnという感覚であろう。歴史的には、演奏リスクの無い第一と第二ヴァイオリンの束ねられた配置が選択されたというのが二十世紀後半であった。ところが、最近の演奏会ではヴァイオリンの対向配置が復活している状況である。リスクが高いことにより緊張感も充実してグレードの高い音楽になり、面白さが倍増するだろう。ルドルフ・ケンペは、そういう記録をディテスクで鑑賞することが可能である。ただし、後年の記録EMIではステレオ録音の多数派に従い、左スピーカーで第一と第二のヴァイオリンが聞こえるタイプ、右スピーカーではチェロとコントラバスという具合である。ここに、第一と第二ヴァイオリンの左右に広がる演奏を紹介して、その価値を発信する。
だいたい、また両翼配置の話か?というふうに思われるのが関の山なのだが、盤友人はそこのところ、オーディオのグレードアップに伴って、聴き方もそのように変化するものだと、つくづく思う次第でそこの分析を回避しないのである。モーツァルトをモノーラル的な聴き方ではなく左右対称とすべきは何か?を問うているといえる!演奏会のあり方として、指揮者方からの一方通行の提起ばかりでは、マンネリズムという指摘をしたい。保守の思想こそ、克服すべきテーマではあるのだから・・・