千曲万来余話その419「ブラームス、ヴァイオリン協奏曲ビーチャム指揮・・・」
桜の季節、というと本州はひと月前の話でも、松前、函館は4/25水曜日に開花宣言された。日本列島は北から南まで距離は長い。桜前線ようやく北海道に上陸といったところか?エゾヤマザクラはすでに、開花していたのだが・・・FM放送、NHK交響楽団ブロムシュテット指揮でベートーヴェン、そしてブルックナーの演奏を聴いた。解説者の方は、第二ヴァイオリンの演奏がよく聞こえたということを発信していた。
そういう楽器の配置であったということで、そういうことを口にはしなかった。盤友人はいつもヴァイオリン・ダブルウィングを指摘しているのだから、楽器配置の問題、評論家たちは忖度しているのだろうと思っている。指揮者の責任として楽器の配置は決定されるからだがたとえば、管楽器でもクラリネットとファゴットの配置を、映像ではある話、フリッツ・ブッシュ指揮ドレスデン・シュターツカペレでは、ファゴット奏者の向かって右側にクラリネット奏者は座っていた。バンベルク交響楽団がカイルベルト指揮の時もそのようであったと記憶している。
そのことは、ベートーヴェンでは第五交響曲の開始が弦楽合奏とクラリネットのユニゾン斉奏の意味として、舞台上手音響の補強であろうという感覚から理解できる話であるなどなど、指揮者の責任、それ以上に、たとえば、舞台上手の袖に第二ヴァイオリンを配置する効果について、音楽を愛する人たちは、語ってほしいというのが盤友人の願いなのだ。
トーマス・ビーチャム1879.4/29~1961.3/8は、モノーラル時代からステレオ時代にかけて、録音を残している。彼は第一と第二Vnを束ねる配置で、右スピーカーからチェロやコントラバスが聞こえるタイプ。モノーラルではそこのところ区別はないから問題は無い・・・、ということを言いきれないで、盤友人は、第一Vnの後ろにコントラバスが配置される演奏とは、音楽が少し、ニュアンスが異なるということを発信する。
価値の優劣ではあらず、ということは、片方の演奏を否定するのではなく、だから、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のホルン吹奏に思いを馳せる。
その演奏には安定感、存在感、ハイトーンの美しさ、フレーズの入り方のさりげなさなどなど、そういう音楽にはあまり出会うことが無いものである。1951年フィリップス録音盤、録音年から推察して見当をつける。その当時ロンドン在住のホルン奏者の筆頭といえば、一人、デニス・ブレインである。
第一楽章開始からして荘重な雰囲気でホルンが合奏の中から吹奏され始めると、ああ、レコードにクレジットがあるものではないのだけれど、ビーチャムが1946年から組織した男性ばかりの管弦楽団メンバー表にはデニスの名前がみとめられるのである。そのように聞き入るとこのPh盤の価値は高いものがある。アイザック・スターン三十一歳頃の演奏で、銘器グァルネリウスの音色はとびきり美しいものがある。スターンはこの曲第二楽章開始の或るエピソードとして、オーボエ独奏の名演に聞きほれて自分の入りを忘れてしまった、というのは実話とのこと。
モノーラル録音では楽器配置問題を微妙に避けているので、ホルン奏者は誰か?などというテーマは、魅力がある。ある人など、演奏会でオーケストラ演奏の聞こえ方は、モノーラル的という指摘をするのだが、それは、ある一面ではそのようであるともいえるが、作曲者の耳を基準にすると、ステレオ的に楽器配置の左右感を無視することはあり得ない話ではある。
協奏曲の演奏、独奏だけではなくオーケストラに注意を働かせることは、オーディオ醍醐味の一つで、桜の季節に、デニスを偲ぶのもまた一興・・・