千曲万来余話その418「ドビュッスィの弦楽四重奏曲、ブダペストカルテットで名演奏を聴く!」
4/15は四月の第三日曜日で、恵庭SP倶楽部第264回鑑賞会に足を運んだ。22周年を数え、蓄音機は電動式、EMGマークⅩ(ten)。直径八十センチほどのラッパ、軽いうえに丈夫で固められた紙質のホーンは見事である。歌謡曲を米国製SP78回転のレコードで再生する。その音圧は生の音楽に近い感興を受けるから不思議である。クラシック音楽ではメンデルスゾーンの無言歌集などを楽しんだ。ホーンが一つというモノーラルの典型で聴いたものだが、我が家ではモノーラル録音LPレコード、スピーカー二台で再生して音像は壁面一杯の反射音を聴くことになる。すなわち、スピーカーが一個ではなく、上下に一対のウーファーとドライバーが左右に二台でもって再生する。そこのところ、ステレオ録音再生の場合の左右感があるのとは異なり、少し愉しむ余裕が生じる。
室内楽で弦楽四重奏曲はヴァイオリンが二挺、アルト=ヴィオラそしてチェロというもの。モノーラルの再生では、それが中央に縦一直線で聞こえるのだけれど現実の演奏によると、ステージで横一列に並ぶのが実際なのだから、色々な想像を働かせる余地が生じる。ピアノに向かうとき、左手側は低音域で、右手側は高い音域。弦楽器もチェロの場合、四本の弦は客席から演奏者に向かうと左側が低音の弦である。そういうことからして、チェロとアルトの並び方は客席から向かうと左側にチェロが聞こえた方は自然と云えるのだろう。その上で、第一と第二ヴァイオリンは左右に展開した方が、聴こえ方としてその対話は楽しい。
クロード・ドビュッスィ1862~1912は1893年31歳でト短調作品10を発表、四楽章形式で第三楽章はアンダンティーノ少しゆったりしたもの。アルトの独奏で開始され、チェロがピッツィカートで合いの手を入れる。ボリス・クロイトの歌うような入り方は絶妙で、ミッシャ・シュナイダーの付け方もなかなかの腕前、第二Vnアレクサンダー・シュナイダーのたっぷり楽器を鳴らした演奏が続いて第一Vnヨゼフ・ロイスマンの高音域旋律線が、合奏を格調高いものにしている。
モノーラル録音はカートリッジをそれ専用型でもって、ラインコードを一本で繋いで、プリアンプの部分でAプラスBセレクター使用という具合に結線する。そうすると、ノイマン製のコードよりテレフンケン製のものを使用したとき、四台の楽器の音響が立体的に充実して再生されるから、そこのところは聴きごたえがある。ブダペスト四重奏団の演奏は、1957年5月のCBS録音レコードで、発売された当時から名演奏の誉れ高いLPである。
印象主義というのは美術史での言葉、その時代の音楽がドビュッスィの作曲になる。音色は華麗で形式は自由なところからして、なよなよしたものを予想をされる方もいらっしゃるだろうが、この弦楽四重奏曲は想定外の厳しい音楽である。四人の掛け合いが丁々発止としていて、寸分の隙が無い。それでいて緩徐楽章は星空を感じさせる魅惑的な音楽のようで、第四楽章は生き生きとして、長調の音楽を目指しフィナーレを迎える。
現実の演奏では、舞台の左手側にヴァイオリン二挺、右手側にアルト、チェロという左右に高い音から低い音という概念でセッティングされる場合が多いのだけれど、最近の演奏会では、左右舞台袖にヴァイオリンが展開されて中央にチェロとアルトが配置される古典四重奏団が取り上げるタイプも見受けられるようになった。この時代を超えた配置こそ、作曲者のイメージに近い、演奏効果が高いものといえるのだろう。盤友人はモノーラル録音でもって、自由な想像の世界に遊んでいるといえる。その豊穣な音楽再生のためにオーディオはある、といえるのではなかろうか ? モノーラル録音評価の点数が低くて、ステレオ録音は数値評価が高いというのと、正反対ではある。