千曲万来余話その417「ウィーナーホルンの達人ヘーグナーさん、天上に逝く」

ザルツブルグ発訃報4月16日ギュンター・ヘグナー死去、肺がんで入院していたという。
  彼は13歳ウィーン市立音楽院、ウィーン高等音楽院に進みシュティーグラー門下の二人、フランツ・コッホ(1908~82)、レオポルド・カインツ(1903~84)に師事していた。65年フォルクスオーパー首席、67年国立歌劇場第三奏者を経て、70年ウィーン・フィル首席奏者就任、75年カール・ベーム来日公演に帯同して以来2015年来札まで、PMFには14回の出演を数えた親日家、多数の門下生を輩出し晩年はグラーツ音楽院で後進指導にあたっていた。   1979年カール・ベーム指揮ウィーン・フィルとモーツァルトのホルン協奏曲四曲をドイツグラモフォンに録音、名演奏を記録している。M氏には1782年第一番ニ長調K412/514、1783年第二番K417、第三番K447、1786年第四番K495、いずれも変ホ長調を作曲している。楽器はF管のためのものでフレンチホルンとは、少し構造が異なり、それにもかかわらずそれゆえにこそヘーグナーさんは、名技性を遺憾なく発揮している。
 ベーム指揮のレコードは第一と第四番をA面、B面に第二と第三番を収録していて、とりわけて第三番は名曲である。第一番からしてウィーン・フィル面々の並々ならぬ演奏意欲に圧倒される。ホルンという独奏楽器は、音程の操作に極めて習熟性を要求されるもので、そのことをプレーヤーならばみーんな承知していること、そのヘーグナーさんに対するリスペクト尊敬の念たるや、このLPレコード一番の聴きどころと云える。その容貌も丸顔にこやかで、難儀感を微塵にも見せないのだが、演奏する表情はさすがに厳しいものがある。
 楽器の構造として、ナチュラル・ホルンというバルブ構造の無いものもあるが、それでもって演奏するのは至難の技術であろうことは想像に難くない。ベートーヴェンの時代に楽器構造も発達していて、それより以前のM氏の作曲には、信じられないくらいの天才性が発揮されている。ということは、当時それくらいの技術を有した演奏者がいたということであろう。その伝統の上にモーツァルト演奏は継承されている。なにより、ウィーンの楽人たちの面目躍如、230年余りの歴史、弦楽器奏者たちの輝きに満ちた音楽的表情、その愉悦感を再生することにこそ、オーディオの醍醐味は味わえるというもの。あのヘーグナーさん、ホルン吹奏でトリル、たとえば、ミレミレミレミレなどとやられるとこちらとしては、目を丸くして聴き入ることになる。
 PMF国際教育音楽祭は1990年バーンスタインの提唱で北京開催予定のはずが札幌に白羽の矢が立ったといわれている。91年以来、ヘーグナーさんは来札を重ねて市民に親しまれた存在だった。バーンスタインの遺志は脈々と受け継がれて、ライナー・キュッヘルやデヴィッド・チャン、アンドレアス・ブラウなどビッグネイムが札幌で教授活動を続けているのは、何より恵まれたことといえよう。
 モーツァルトなんて古い古い、などと思われるのも無理からぬことではあるのだが、彼の音楽は、天上の音楽といえるほど無二の芸術であり、その恩恵にあずかれるか否かはその人の人生の何たるかに関っているといえるのであるまいか? 市民革命時代に生まれた彼の芸術は、時代を超えて近代的な人生に恵みをもたらす奇跡ではある。
 彼のオペラには人間の心理的深層に深く関わりがあるドラマが展開している。その音楽を源泉にして、ベートーヴェン、シューベルト、リストなど歴史は止揚アウフヘーベンを見せているのだ。ヘーグナーさんの演奏は、ウィーン音楽そのものであり、彼の音楽はお弟子さんたちに脈々と引き継がれることになるのであろう・・・