千曲万来余話その415「シューベルト幻想ソナタ、ピアノ曲再生の努力と愉悦」
以前に盤友人が、豊平川左岸線とかの名称について、間違えた発信をしていたことがある。その時の認識は、川上に向かって右左と考えていたのだが、それは単なる勘違いで、正確には、川が流れる方向に向かって右岸線とかが規定されているということである。だから豊平区側に対して中央区側が豊平川左岸線という呼称であって、それは、インターネットで容易に確認できる。京都御所から北を背にして東が左京、西が右京という発想に似ている。地図の上では右側が東で左京区ということである。
ピアノの演奏を耳にして、スタインウエイ、ベーゼンドルファーという識別はむつかしい。LPレコードの場合、ピアノ、という表記が大多数であって、メーカーのクレジットはなされていないことの方が多数である。なぜなら、使用楽器はスタインウエイであることが多い事による。ヴィンテージ・オーディオの経験を積み重ねることにより、ピアノ・メーカーの識別が明確になってきている。すなわち、スタインか?ベーゼンか?その違いは倍音の手応えにより、感覚として認識力が向上した。
シューベルト作曲になるピアノソナタは21曲を数える。未完のものや、未発見のものもあるのだろう。そこのところ、ベートーヴェン32曲とは異なっている。その第18番ト長調は、幻想ソナタといわれていて、ドイッチュ番号はD894となっている。ラド・ルプー、アルフレッド・ブレンデルなどの演奏は、楽器の響きも美しく、まさに幻想的、素晴らしい演奏に仕上がっている。それだけを聴いていたのなら、何も、問題は発生しない。
盤友人はパウル・バドゥラ=スコダ、1970年録音のRCAヴィクトローラ薄盤プレスを入手し、再生した。その冒頭の音楽、まるで、ベートーヴェンのソナタ第15番パストラールに共通する出だしである。音楽が下降していき、低音域のおさまりに達したとき、そのピアノの音色に前者たちとは異なる印象を与えられたのである。それは、明らかに楽器メーカーによる音色の違い、感触の手応えであった。グランド・ピアノの発達は、作曲者が耳にしていたであろうものとは、当然、違いはあるのだろう。だがしかし、バドゥラ=スコダの低音域には、説得力があった。すなわち、S氏が求めている音色は、こちらのものである、という確信は盤友人のみならず、この演奏に出会った人々はみな、同じ感想を抱くことの予想は容易である。それくらい、スコダの音楽には、作曲者の精神と共にある演奏だと言えよう。
何も、スタインウエイが劣っていて、ベーゼンドルファーだけが優れているというわけではない。アクションの構造は、鍵盤の先の方にハンマーが弦を叩くというイギリス式がスタインウエイであり、鍵盤の上にハンマーが乗っていて手前、チューニング・ピンの近くでハンマーが弦を叩くドイツ式、あるいは、ウィーン式というベーゼンドルファーの仕様という違いは、ピアニストが楽器を選択する一つの鍵と云える。エドウィン・フィッシャー、以前はベヒシュタインを使用していたところをスタインウエイに、移行していったというのは、ものの本で読んだことかある。タッチが、スタインウエイがより、奏者の感覚に近いものがあったのである。ところが、バックハウス、カーゾン、バドゥラ=スコダたちは、ベーゼンドルファーを愛用している。アニー・フィッシャーという女流ハンガリーのピアニストもベーゼンにこだわりを見せ、共演経験のある指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュ歌曲伴奏ピアノのほとんどは、ベーゼンであるというのは、興味深いものがある。いずれにせよ、音楽を愛し、ピアノを愛し、シューベルトを愛する時・・・ウィーンの音楽に相応しい音色を、求めてやまない。それが、オーディオの愉悦というものなのであろう。