千曲万来余話その413「ラヴェル作曲ハバネラ、ティボー復刻盤を巧く再生する醍醐味」
オーディオには色々なこだわりがあり、中でもラインコードは開始から現在まで悩ましいものがある。最近のゴッサム一辺倒から、米国ベルデン社製の細くてかたい丸線の二十年前のものに取り換えてみて、スピーカーのドライバーという高音域担当のバランス、豊かな鳴りに腰を抜かしてしまった。流石、ベルデンということで、KT氏に相談するとジャズには良いんでないかなと言うことだった。彼、最近のイチオシはもちろんゴッサム、だから簡単には承知しない。そこで、ゲオルク・ノイマンに代えてみたら?というアドバイスを即答する。
盤友人は逆らわずに試してみると、それはそれはのけぞってしまうことになる、透明感が深化を見せたのであった。こういう経験は滅多に味わえるものではあらず、その瞬間の経験は不滅である。オーケストラの録音を再生して、それぞれの声部が鮮やかで、印象的に聞こえる。すなわち、低、中、高音域のバランスは一定であって、強調されることは無い。よくある現象なのだが、高音域が強調されたり、あるいは、中低域が豊かになったりするのだが、ノイマンのケーブルには、そのような味付けは無かった。
それどころか、ピアノの旋律線メロディーラインはくっきりと、響きが連なる具合で、いわゆる透明感が向上を見せたのである。それは、音像、左右の広がり感が充実して、ABチャンネルと中央の定位がなめらかでワイドになる。つまり、二つのスピーカーの中央の実体が現れて、モノーラル録音であっても後方壁面の音像が拡大化されるのである。
ジャック・ティボー1880.9/27~1953.9/1のSP録音復刻盤を再生する。1936年や、1944年5月パリ録音、ラヴェル作曲ハバネラ形式の小品で、タッソウ・ヤノポウロ演奏するピアノの伴奏がみずみずしい。倍音の鳴り方が豊かで魅力いっぱい、ラヴェルの作曲がいかに、天性豊かなものであったかを知らしめるに充分な再生音なのである。普通の再生グレードでは、スルメを噛むような味わいのところを、唾液が一杯、味わい一杯の音楽に変貌する。それくらいに録音盤の情報が、そのままスピーカーから再生される喜びは何物にも代えがたい。ティボーの音色は、ガット弦の魅力いっぱいなのであろう。ジャケット写真に注目すると、向かって左側のG線という太いものの隣、D線は斜め上に巻かれている。これは、もしかするとティボー独自の巻き方なのかもしれないので彼の秘密の一つとして発信しておきたい。
彼の音色、ヴィヴラートは、比べるものなきがごとく、高潔な音楽性は聴く者の精神を昇華する。明るい輝きは、ジネット・ヌヴーの音色と同じく銘器ストラディバリウスの所以である。53.9/1の悲劇は、彼の遺骸が散逸、楽器の弦の一部だけ埋葬されたという悲しすぎるエピソードに象徴的である。73年間で彼の音楽は日本に三回目の登場を与えてもらえなかったのだが、チャップリンと一緒、東京で天婦羅に舌鼓を打ったとあるライナーノーツの記事にホッとする。フランスレジスタンス参戦の経歴もあるのだが彼の録音は永遠である。だから、オーディオの醍醐味とは、こういう音楽再生にあるのではないかと、盤友人は楽しんでいる。
来年でその歩みから四十年、ということは、人生、下り道にこそ、勢いは増すというもので、注意が肝心、折り返し地点からゆっくり、しかし確実な歩みにこそ開ける世界はあるというもの。音にではなく、音楽にこそ救われる神は宿る。ティボーの音楽に、酔うのであらず、SP復刻を、よだれ一杯にして味わうところに高みはあるのだろう。ゲオルク・ノイマン様様である、と言ってもこれからの入手は至難だかといっていたなぁ・・・