千曲万来余話その410「フォーレ、レクイエム作品48、ナディア・ブーランジェ指揮」
レクイエム鎮魂ミサ曲、死者のためのミサ、ガブリエル・フォーレ1845~1924は、1890年頃作品48を作曲していて1893年小編成第二版がある。イントロイトゥス入祭唱キリエ、オッフェルトリウム奉献唱、サンクトゥス感謝の讃歌、ピエ・イエズああイエスよ、アニュス・デイ神の子羊よ、平和の讃歌、リベラ・メ神よ許し給え、イン・パラディスム楽園にてという七曲。バリトン独唱は奉献唱とリベラ・メ。ピエ・イエズはソプラノの独唱。混声四部合唱と管弦楽伴奏、バンダとしてホルン、トロンボーンも参加している。
ナディア・ブーランジェ1887,9/16~1979,10/22パリ、モンマルトル墓地にリリー1918年没の妹と一緒に埋葬されたという。ナディアは十歳でパリ音楽院に入学、作曲理論をフォーレに師事。女性指揮者として先駆者、作曲、ピアノの門下生は多数で、1937年ディヌ・リパッティのデビュー録音、ブラームス、ワルツ愛の歌集で連弾を受け持っていた。
フォーレのレクイエムを彼女が指揮をしてパリ放送大管弦楽団、合唱団、オルガニストとしてモーリス・デュルフレ、ソプラノ独唱ジゼル・ペイロン、バリトン独唱ドーダ・コンラートらが、1948年10月11,13日に録音している。
普通、指揮者がタクトを振るとき、強弱を指示するために、演奏者に対して比較的、抑え目というストレスを加えるのが普通である。ところが、ブーランジェの指揮した音楽ではそのような印象よりも、合唱や独唱者の演奏には自発性が重んじられているようであり、さらにテンポ感はゆったりとしているにもかかわらず、わずかに速めであり、遅すぎることはない。何よりも、バリトン独唱もヴィヴラートがかかった謡いぶり、であるけれども、音楽はなにかグレゴリオ聖歌のような印象を与える。つまり、演奏というよりも祈り、という印象を与える音楽に変貌している。
ジゼル・ペイロンのソプラノも愛に包まれるかのようで、その巧みな歌唱を経験すると、音楽の持っている魅力に強く心を奪われる。これは宗教曲であるが故にということもあるのだけれど、その歌唱力、音楽には深い叡知と愛情そして技術修練の上に成り立った圧倒的な説得力の前に、ナディア・ブーランジェの偉大な芸術を知らされることになる。彼女には、作曲者に直接教えを受けているのみならず、何か、音楽演奏の奥義が伝えられていて、演奏者達を磁化するような魔法を身につけているのであるまいか?というように思われる。
オルガニストのデュルフレも魅力的なオルガン演奏を披露していて、パイプオルガンの持つ圧倒的な音楽で感動を与える。パテマルコニー、レファレンスLPレコード、SP復刻のものであるにもかかわらず、というよりそのために再生した音圧は、並みのものではない。サーフェスノイズも修正が加えられていて、聴きやすいレコードである。
盤友人が聴きやすいものという発信をすると、誤解を与えるはずですなわち、以前聴いた時より、装置はグレードアップしていて、SP復刻録音を聴きやすいグレードまで、高める努力は必要とするものである。言い方を変えると、そのための努力が必要ということなのである。モノーラルカートリッジは必要なのであり、しかもAタイプという針圧,6.7グラムの世界にして、獲得できる世界である。レコードの溝に記録された情報を豊かに再生して、感動を得るものである。
1948年1月には非暴力主義者マハトマ・ガンジーが死去している。そこに何の関連性も無いといえるものなのか?盤友人は、こじつけではなくて、当時の社会的情勢に夢を巡らせる。それだけで、それ以上のものではないのだけれども・・・