千曲万来余話その408「ブライロフスキー表現主義的ショパン弾き、ソナタ第二番葬送行進曲付き」
アレキサンダー・ブライロフスキー1896.2/16キエフ~1976.4/15ニューヨーク没、1924年パリにてショパン全ピアノ独奏曲を六回のリサイタルで演奏。生地の音楽院を経てウィーンで、レシェティツキに師事、さらにブゾーニの薫陶を受けている。彼のLPレコード、RCA録音でショパンのソナタ第二番変ロ短調作品35葬送、第三番ロ短調作品58を聴いた。
ブライロフスキーの映像を見たことは無いのだけれども、聴いた印象で彼の指は、きっと長いように思われる。と言うのは、克明なタッチのストレス、音圧感はきれいに整えられていて、というのは、均一と言うことではなくて、言ってみると、強い弱いのコントラストが、見事に弾き分けられていて印象的ということである。第二番ソナタで云うと、ピアノの音響は、鍵盤で弾いている感覚がうまく表現されていて、一音一音は際立ち、濁ることは無く明確である。一瞬、凸凹な感じを受けるのでは有るけれども、聴いているうち、フレーズの感覚が伝わってくると、作曲者の音符一つひとつに込められた意図を尊重するピアニストであることが、理解される。第一楽章は悲劇性とともに、叙事的な語り口に引き込まれる感じになる。これは、安易にピアノという楽器の音響に頼ることなく、楽想を描き切る演奏者の気高い意志の力が伝えられる。第二楽章の速いパッセージも、手ごたえ充分に演奏していて、第三楽章の葬送行進曲への期待感が高まる。あの音楽は、野辺送りの足取りそのものであり、ショパンの抱いた痛切で悲劇的な経験を表現していて、並大抵ではない。ショパン1810-1849、1837年葬送行進曲は完成していて、1839年の夏に作曲を終えた。第四楽章フィナーレの演奏、わずか75小節86秒余りである。
葬送行進曲の演奏、一際印象的なのは、ABAという三部構成での中間部、長調の明るさは一層、明るい色調をもたらすことになる。そこは、彼ブライロフスキーの表現主義として、成功している所以であろう。重苦しい雰囲気を表現の上に、逆に、晴天を思わせるあの明るさは一体、何を表現しているのだろうと思わせる。こんな感想を抱かせるほどに明るいのである。つまり、悲哀と明朗というギャップが極大といえるのである。これは、ピアニストの表現としてより、一人の人間として、剛毅な存在であることの証明、偉大なピアニストの証左である。1932年と1966年の二回、来日を果たしているが、評論家たちの評価は余り話題に上らなかったらしい。コンディションもあるのだろうけれども、彼の演奏スタイルが受け入れられなかったのだろうと思われる。
RCAレコード、コピーライトとして、1955年のクレジットがある。詳しい情報は得ていないのだが、1954年の悲劇として、11月に指揮者WFの死去がある。これは単なる憶測にすぎないのだけれど、この曲の録音は歴史的史実を拾って聴くと、納得が行く。つまり、演奏者にとって、現実のバイアスがかかることによって、その演奏モチベーションが倍増するというものである。順番としてはレコードを聴いて、その悲劇性に胸を撃たれ、ジャケットの情報を確かめることによって、腑に落ちるという音楽体験である。
ここで付け加えると、この演奏はモノーラル録音ということで、オルトフォンの初期型、黒ツノつきAタイプ・カートリッジ使用して,明らかになる録音だ。ブライロフスキーの十本の指、その表現するストレスを上手に再生して、初めて、その芸術の真実に至る。オーディオの醍醐味として、必要な条件を整えて獲得する境地である。良い音とは、感覚の問題ではあらず、オーディオで努力した結果をいう。それは果てしない話・・・