千曲万来余話その405「オーディオとは何か?シェーンベルク室内交響曲第1番を手掛かりに」
カワハカワカラウミハミカラ、川は皮から海は身から、という言葉をすぐ理解できる御仁は料理の達人という資格をもつと云えるだろう。魚の焼き方の基本と云える言葉で盤友人は母から伝えられている。言葉という理解のツール道具、手段は意外と真理に至る第一歩である。さしずめ、オーケストラの鍵言葉キーワード、ヴァイオリン・ダブル・ウィングVn両翼配置はそれにあたる。
現代の多数派を形成する指揮者たちは、その言葉を封印していたと云えるだろう。すなわち、音楽とは音の集積であって楽器配置は音楽以外の要素という判断であり、これは、オーケストラ指揮者の生き方の第一歩、躓きの石である。ヴァイオリンの第一と第二を並べるか、左右両方に開いて配置するのかという選択は、オーディオを追究し、かなりのグレードを獲得して初めて、理解容易な世界である。何のためにオーディオを追い究めるのかという問いと、手の表裏の関係にある。だから抽象的に、単なるきれいな音の追求にあらず、音楽のあるべき姿の求道こそ、オーディオの目的といえる。盤友人の周りには、スピーカーなど、超一流品を手にしていながら、それらすべて手放した人たちを知っている。目的が失われた時、オーディオの歩みを否定することになるのだ。何のために?という第一歩でありながら、最終目的の消滅は、その人の生き方に多大な影響を与えることになるのだ。札幌音蔵のキャッチコピー、音にではなく音楽のために、というのは、意外にも真理と云える。オーディオでの、音楽に迫る態度のあるべき姿の、けだし名言である。
先日、札幌、小ホールで室内アンサンブルの音楽会に足を運んだ。モーツァルトの行進曲とディベルティメント、ワーグナーのジークフリート牧歌、シェーンベルク室内交響曲第1番作品9というラインナップ。完成度の高い演奏で、充分、楽しい音楽会であった。
ステージを眺めていると、舞台下手に第一、第二ヴァイオリン、舞台上手には、チェロ、コントラバスの配置。明らかに指揮者左手側には高音域楽器、中央にホルン右手側には低音域楽器というコンセプトである。素人にも分かり易い考え方なのである。ところが、気持ち的にチェリストは楽器の方向を客席に向かせたいのが見て取れる。
シェーンベルク1874~1951の作品9は1906年完成の室内交響曲、同じ年にマーラー1860~1911は第八番、千人の交響曲を初演している。ちなみに、S氏の室内交響曲第1番は十五人編成。彼は表現主義、十二音音楽の始祖である。二十分程の演奏時間、一楽章形式でも、聴いていて四楽章形式をイメージさせる内容。
弦楽五部、管楽器フルート、ピッコロ持ち替え、オーボエ、イングリッシュホルン、小クラリネット、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、第一、第二ホルン、という編成。
盤友人はヴァイオリン両翼配置が作曲者の舞台イメージという考え方に立つから、コントラバス、チェロを指揮者左手側に配置、第一Vn、右手側にアルトと第二Vnという弦楽器配置を想定、舞台中央にフルート、オーボエその下手側にファゴット、コントラFg、上手配置に小クラリネット、Cl、バスClを配置してその奥にホルンをシートさせる。ここで、ホルンのベル側に広い空間を確保するということである。
こういう発想は、今までレコードで録音されたものではあらず、ピエール・ブーレーズ指揮、BBC交響楽団、左側スピーカー高い音から、右側スピーカーから低音というものである。Vn両翼配置は、左右にヴァイオリンを開いて初めて可能な世界であり、チェリストの正面配置は、問題解決の第一歩となるに違いない。こういう想像をした聴き方も、また楽しからずや・・・