千曲万来余話その400「ブランデンブルグ協奏曲第三番をブリテン指揮とレッパード指揮で聴く」
ヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21独アイゼナハ~1750.7/28ライプツィヒ没、音楽の父という代名詞、初めはヘンデルのことだったらしいけれど、何時のころからかバッハは母から父に変ったといわれている。何故、父なのか母なのか? 理由は、定かではない。いずれにしろ、キングナンバーに居座ったのが彼、というわけで偉大性の称号と云える。ベートーヴェン、彼は小川ではなく、大海の如くであると言い残している。
バッハ作品番号BWVでいうと、第一番ヘ長調1046、第二番ヘ長調1047、第三番ト長調1048、第四番ト長調1049、第五番ニ長調1050、第六番変ロ長調1051になる。協奏曲というと、独奏楽器と管弦楽によるというものが一般的なのだが、ブランデンブルグ協奏曲は、コンチェルト・グロッソといって、合奏協奏曲という複数楽器と管弦楽によるものの形態をとっている。第六番は、弦楽器によるものなのだがヴァイオリンは採用されていない。第三番は、それが普通に採用されている弦楽アンサンブル、コンチェルト・シンフォニアである。
ブランデンブルグという名称の由来は、バッハがケーテン滞在時代1717~1723の1721年、辺境伯のルートウィヒに献呈されていることによる。ちなみに、この頃ストラディバリウスの名品製作時代と同時期になっているは興味深い。
ト長調第三番のレコードを再生していて気になったことは、楽器配置の多様性である。多数のLPの中から、フィリップス盤レイモンド・レッパード指揮と、デッカ盤ベンジャミン・ブリテン指揮による両者ともイギリス室内管弦楽団演奏レコードを聴いた。
不思議である、ステレオ録音によるものからだろう、楽器配置が異なる演奏なのである。レッパード指揮によるものは、明らかに、左スピーカーから第一、第二ヴァイオリン、アルト、チェロ、右スピーカーにはコントラバスというグラデーション段階的変化のように聞こえる。これが、多数派かというと、そのようではなく、ブリテンの指揮によるものは、チェロとアルト=ヴィオラの配置は逆転されている。すなわち中央にチェロ、右スピーカーにはアルトというものになっているように聞こえる。これは、単なる楽器配置の違いということではなく、音楽の違いのように聞こえる。音楽というと、調性のことだけではなくて、楽器同士の会話を指しているからである。ところが、普通、音楽評論家に言わせると、というかあえて触れないテーマが楽器配置なのである。
だから、ブリテンのレコード再生によると、アルトの演奏が際立つことになる。さてレッパード指揮によると、右スピーカーにコントラバスが定位することにより、左スピーカーへと方向性が感じられることになる。右スピーカーが土台となって、左側へと方向性が生まれることになる。これは、感覚の問題として当然と感じるものか ? 盤友人には、違和感を覚えるものである。別に価値として否定されるわけではなく、彼の演奏は、楽器数も少ないことから、旋律線が強調されていて、スッキリした印象を受ける。ブリテンのものは、量感があって豊かな音響を再生することになる。以前指摘したことがあるエードリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルハーモニックの演奏によると大編成、右スピーカーから第二ヴァイオリンが聞こえてくるという違いは実に面白い。ちなみにブリテンはボールト卿に対するコメントから、犬猿の仲だったと言われているのも、そういうことがあったらしいという程度で両者とも立派な演奏には違いないが、同じ趣でない。
だが、バッハが偉大だというのは、ミュンヒンガー指揮シュトゥットゥガルト室内合奏団のものを聴くと一層、強烈なのである!