千曲万来余話その396「ウィーンフィル、ニューイヤーのステレオ的価値」
明けました、2018年、平成三十年がみなさまにとりまして福の年になることを祈願し、歳の初めにEテレで恒例、ウィーナーフィルハーモニカー、ノイエヤールス演奏会を鑑賞した。名匠リッカルド・ムーティ1941.7/28ナポリ出身は、百戦錬磨、ヨーロッパやアメリカの管弦楽団との経歴も充分、その彼は、初登場である。
ウィーンフィル恒例のニューイヤーは戦後、クレメンス・クラウスの指揮のもと歴史を重ねて、当然のごとくLPレコードでも、デッカ、ドイツグラモフォンに名盤は、多数ある。1987年、ヘルベルト・フォン・カラヤン登場して以来、ヴァイオリンが舞台両袖に展開する弦楽器配置は定着していて、オーケストラの主張は明確である。すなわち、作曲者以来の配置を尊重するVn両翼型。ステレオ録音の前期は、明らかに第一と第二ヴァイオリンの配置は混在、束ねたり開いたり、その思想は、左スピーカーからヴァイオリン、右スピーカーにチェロ、コントラバスという左右が高音から低音へと展開するものであったのだが、それが主流のステレオ録音から、1980年代に入り、ジェイムズ・レヴァインのウィーンフィルとのモーツァルト全集企画を契機にして、カラヤンのニューイヤー登場は、ドイツグラモフォンレーベルは本格的に、両翼型が陽の目を見るように移行していったのだ。象徴的なのは、指揮者ラファエル・クーベリックであり、シューマンやドボルジャーク、ベートーヴェンの交響曲全集は両方が混在する配置選択ではあった。
今年のTV映像は、ワルツ南国のバラなどでの、バレエ情景も演奏される音楽とピタリの優秀な演出でかなり、ハイレヴェル高品位のものである。なにしろ、演奏者たちがスゥイングしていて、その上目配せして愉悦のひと時は、コンサートマスター、フォンシュトイデを筆頭に極上、客席との雰囲気も一体感が横溢する素晴らしい音楽会であった。
カラヤンの指揮した演奏は、全体を通して、指揮者の品格が支配するもので上品、優雅、貴族的伝統に立脚したシュトラウス・ファミリーの音楽を味わえるものとなっている。たとえば、憂いもなく、というポルカでは楽員、弦楽器奏者たちが、ハッハッハッハッと喚声を上げる中間部を経過して、そして終了すると、客席からブラボウの掛け声など、実況記録として貴重である。
キャサリーン・バトルSopによる春の声など、コロラトゥーラ、軽妙な歌いまわしは、これ以上にない気品ある歌唱芸術の極みである。まるで、夜啼き鳥ナイティンゲールの鳴き声そのものの音楽、オンエア当時、カラヤンは新年あいさつの中で、ピースピースと小鳥は歌うというメッセージを盤友人は記憶している。30年余り以前の記録音楽。
ジャケット写真を手にすると、フルートは当時若手のディーター・フルーリー、ホルン首席にはギュンター・ヘーグナー、アルトにはクラウス・パイシュタイナー、チェロにはフランツ・レップ、コントラバスには、ルートヴィヒ・シュトライヒャーの髭顔が見える。ヴァイオリン、コンサートマスターにはライナー・キュッヘル、ウェルナー・ヒンクも並んで座っている。
カラヤン指揮するウィーンフィル演奏の特色は、楽団員の一体感であり、極上の音楽性が記録されている。団員個々の自己主張は皆無で、その上で、例えばチェロの斉奏ユニゾンに対して、ホルンの対旋律がたおやかに吹奏されるなどは、唯一無二の音楽と云える。これはウィーンフィルの伝統で、世界中のオーケストラが真似しても、それに並ぶことが不可能な音楽と言って言い過ぎではあるまい。演奏会全体を通してが、彼らの芸術なのだから・・・