千曲万来余話その393「バックハウス、B氏ソナタ第三番ハ長調、モノーラルを再生する極意」
今年も残すところ、二週間となった。よく人は年月を旅人に見立てて、百代の過客と表現した古人もいて、一年をひとまとめに括るようである。サイト観察者の皆さまは、いかなる年であったのだろうか?それぞれに実り大きかった年と思う。忘年会、送年会と、飲み会もたけなわの頃、飲み過ぎないことが肝心。
盤友人は、スピーカーのウーファー、チューニングを経て歪みの世界から抜け出たようだし、その後、アンプを三極出力管仕様PX-4、アームをオルトフォンの初期型RM297、そして、真打ちとして12月にプレーヤーEMT927用インシュレーター装着という具合に、止揚アウフヘーベンを見せた。
それぞれに微妙な変化を遂げて、我が家のフィールド式オイロダイン、23年間で高いポテンシャルのピークを築いたようである。
一番如実に表現する世界は、演奏者の強い表現のみならず、引いた表現、脱力、フレーズの収め方が心に残る演奏へと、表現の振幅が手に取るような印象的世界に変貌を遂げたといえるだろう。
そのことにより、例えば、モノーラル録音レコードの微妙なニュアンスの世界が面白くなった。ピアノソナタというのは、オト数が一つ、楽器が一種類だけということで、その姿が面白いか否か、オーディオ世界の分かれ道となる。ピアノ一つだけで、つまらなーい、というのは子供の言い分だというのは、お分かりのことだろう。その楽器音響を、生々しく再生することにより、オーディオの世界は、俄然にわかに、深い世界へと変貌を遂げることになる。
特に、ベートーヴェン作曲、ピアノソナタ第三番ハ長調作品2―3は、1795年ハイドンに献呈されている。人間尊厳という解放思想の市民意識は、時代の中でも、B氏の音楽的基盤となっている。パリの市民革命を経過して、貴族階級から自立を目指す芸術家、ピアニスト、それが作曲家へと飛躍を遂げている時期の作品として初期ソナタ三曲は、至宝の輝きを放っている。その第三番第二楽章は、青年作曲家の心境があたかも、シューマンのピアノ音楽のような姿を見せているのは、実に、興味深いことである。すなわち、ハイドン時代の古典的な作品から、ロマン派、永遠なる世界を求める人間的な心情の吐露ともいえる世界の萌芽が、既に表現されているのは、ベートーヴェンを理解するうえで、貴重なレコードである。1952年頃録音されたデッカのLPレコードを、再評価することにしたい。
多数の録音が成されるB氏のソナタではあるのだが、その出発はシュナーベルによるSPレコードといえる。その後20年してバックハウスのモノーラル録音全集が完成を見ることになる。
さんざん鑑賞されて、古い演奏スタイルというような評論も見受けられるのだが、盤友人には、不滅の現代的、演奏スタイルの礎のように聞こえてならない。
それは、グランドピアノの頂点で録音された演奏、ピアノとフォルテという器械としての楽器表現の魅力を満載した演奏なのであって、そのレコードを十全に再生するのが、オーディオの命題なのである。多分、コンパクトディスクの再生では、あり得ない話、表現不可能な世界なのであると断言しよう。それは、音響として、倍音の再生、生々しい表現意志の再生なのであって、LPの醍醐味はそれをドラマの世界にまで高めるのである。その第二楽章は青年が、心惹かれる理想の女性に愛を告白する青白い、しかし、永遠のときめくドラマそのものなのであろう。
バックハウスのデッカ録音を、充分に再生して、心ときめくこの頃だ。