千曲万来余話その392「バッハ組曲第二番ロ短調、奇跡の人ヒロヒコ・カトーという名演奏家がいた・・・」
先日、父親の遺品としてクリケットレコードに託されたLPレコード、それが盤友人の目に留まることになった。
アルプス山嶺に消ゆ、母親へ送る若き天才フルーティストの手紙、1992年12月15日第一刷発行に記載されていた、1963年8月3日モンテカルロ歌劇場管弦楽団演奏会、指揮アンタル・ドラティで独奏者が加藤恕彦だった、バッハの管弦楽組曲第二番ロ短調。
その演奏会を後に二週間も経ずして、恕彦とマーガレット夫妻はセルボ山荘を出発して消息を絶つ。悲劇的なアルプス遭難、彼の遺体はその翌年九月に発見されているけれど、彼女は今も不明のままであるという。
1937年7月4日、東京に生まれる。十一歳で林リリ子1925-73、作曲家林光1931.10.22-2012.1.5の従姉にフルートを師事する。1958年渡仏する頃には吉田雅夫1915.1.2-2003.11.17に指導を仰いでいる。
パリ・コンセルヴァトワール1958.11.4フルート正科生として合格、60.6プリミエ・プリ・プリミエ・ノメ1等賞の第一位を審査員全員一致で獲得、九月にはミュンヘン国際コンクール二位、61.3室内楽科プリミエ・プリで卒業する。1961.6モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団首席奏者に就任、1963.2.9ロンドン聖オズモンド教会にて二歳年下マーガレット・キング女史と挙式、彼女はオーボエ奏者で南仏ボーソレイユに新居を構え、イギリス、イタリア、スイスと旅行をかさねた。
63.8.16突然、加藤夫妻アルプスに遭難という悲報が東京に届く・・・
吉田雅夫さんの文章によると、パリ音楽院で、ソルフェージュという学科では最初に、<コンマ>を学んだと伝えられている。ピュタゴラスのコンマという理論ではドを五度上に十二回、倍音を重ねることにより、シのシャープはドよりも高い音程となる・・・このサイトをご覧の方には、なんのことやらさっぱりわからん!といわれるような理論をその当時、既に習得しているということである。例えば、平均律で、ラのシャープとシのフラットは、ピアノの鍵盤では同じにもかかわらず、純正調でいくと、シのフラットの方が僅かに高いヘルツ周波数となる、という理論は、言葉で学習するよりも、フルートの吹奏で体得すると、実際に理解は容易である。
純正調と平均律の相違はピアノに対してコーラス、弦楽器、フルートなどで経験することが出来る。ピアノという平均律では、ドとミの音程が僅かに広く、すなわち、ミが高目であるのに比べて、純正調というハーモニーにおいてその長三度の音程は狭くて、そうすると和音に揺らぎはなくなる。
マーガレットはヒロヒコが完全に彼女を理解してくれて相思相愛であったと母に伝えていたという記述がある。問題を乗り越えて国際結婚、幸福のすぐ後、その悲劇・・・
八月三日の実況は録音されていて、盤友人はそれを奇跡的に再生することができた。
ヒロヒコは指揮者ドラティのバッハ解釈にしっくり感じてはいなかったらしいけれど、演奏は完全で、その独奏者と管弦楽団の一体感は、比類がない。いかにヒロヒコは技術と精神の融合を身に着けて実践していたことか、それはかろうじて記録されている。
良い音とは何か? それは美麗な音のみにはあらずして、音楽家の精神性を伝えて余りある記録、実況のため低周波の定期的な雑音を超えて、演奏終了後の、次第に熱狂的な拍手喝さい、事実、五十秒くらいしてブラボーの声が沸き起こるさまは感動的だ。リズミカルで軽快な演奏スタイルは、神の庇護を受けたものにのみ、与えられたかのよう! 54年前、天に召されたヒロヒコ、つくづく、魂の平安を、祈らずにいられない。