千曲万来余話その390「フルトヴェングラー、第九名盤列伝オーディオ論その八」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30バーデンバーデン
1922年からベルリン・フィル常任指揮者として活躍しその間1945.2~1947.5には非ナチス化裁判を経験、多数の演奏家から弁護を受けて1946.12/12無罪判決、活動再開は翌年の五月となる。
・ベルリン・フィル
1937.5/1 inロンドンsop.エレナ・ベルガー
1942.3/22~24 inベルリンsop.ティラ・ブリーム
・ストックホルム・フィル1943.12/8 inストックホルムsop.イェルディス・シムベリ
・ウィーン・フィル
1951.1/7 inウィーンsop.イルムガルト・ゼーフリート
1952.2/3 inウィーンsop.ヒルデ・ギューデ
1953.5/31 inウィーンsop.イルムガルト・ゼーフリート
・バイロイト祝祭管弦楽団
1951.7/29 inバイロイトsop.エリザベート・シュワルツコップ
1954.8/9 inバイロイトsop.グレ・ブラウエンステイン
・フィルハーモニア管弦楽団1954.8/22 inルツェルンsop.エリザベート・シュワルツコップ
良い音とは何か?というのは永遠のテーマなのだが、生々しい音、一点ポイントに絞るとAUDITEからリリースされているルツェルン実況録音盤LPレコードは秀抜である。
一聴して伝わる感覚は、平和、なのである。1942年実況盤は明らかに戦況下の緊張感、あのティンパニー演奏の強烈さは、類を見ない異様である。ヒットラー臨席の演奏であったかどうかは定かでないのだが、それはそれとして、典型的に壮麗なコラール交響曲に仕上がっている。
これらは古典配置であって、コントラバスとチェロが第一ヴァイオリンに近接している。ということは演奏の緩急法アゴーギクで加速する力強さは、一つの特徴的とさえ云える性格である。
だから第一と第二Vnを束ねる現代配置は、前提として、楽器配置は音が聞こえればそれで問題は無いという発想がそうさせているので、一つの仮説に過ぎない。古典配置は聴こえ方として、指揮者の左手側と右手側という位置関係が作曲者の前提となっているという発想と正反対の仮説なのである。最近の流行ファッションとして、Vn両翼配置が復活したのには、それなりの理由があると言って差し支えないだろう。
ピリオド時代楽器演奏の復活と共に、楽器配置が再考されたという現象に基づいているのである。 コントラバスが舞台下手に配置されるのは低音楽器として自然というもの、現代配置が不自然であるというのは今言える感覚であって、二十世紀後半の慣らされた感覚こそ上手配置なのであると言えよう。
1937.5/1ロンドン・ライブのお仕舞いが過激なプレスト急速演奏になっているのは象徴的であって、古典配置究極のスタイルなのではなかろうか?
フィルハーモニア管弦楽団との演奏にはホルン奏者として、デニス・ブレインが参加しているはずである。第二楽章で聴くことのできるハイトーンは、ああ、デニスに出会えたという感激を味わうことになる。これはLPレコード再生により経験される醍醐味と云える。
人はCDでもLPでも、音楽鑑賞に変わりはない、とそのようにおっしゃる御仁もおられるのだが、一聴瞭然べ・つ・も・の! 如何に先入観念により多数の人々の判断が誤っていることか・・・
●AUDITE盤 | ●tahra盤 |