千曲万来余話その388「ドボルジャーク、交響曲第8番を指揮したケルテス」
イシュトヴァン・ケルテス1928.8/28ブダペスト~1973.4/16テルアヴィヴ
1948年、リスト音楽院でショモジーに師事して指揮を、そして他にVnと作曲も学んでいる。
1953年、ジェール歌劇場の指揮者に就任、55年ブダペスト国立歌劇場の副指揮者に就任、翌年のハンガリー動乱の勃発により、亡命。ローマ聖チェチーリア音楽院でプレヴィターリの下で研さんを積み、58年アウグスブルグ歌劇場指揮者に迎えられる。半年で第一指揮者に昇格し60~63年に音楽監督を務めて名声を確立、ケルン市立歌劇場総監督64~73年、65~68年ロンドン交響楽団の首席指揮者を兼任、64年にはLSO創立60周年記念世界楽旅に同行し来日している。
1960年頃、ウィーン・フィルとの<新世界から>は、英デッカにデビュウ録音だった。
彼の早過ぎる晩年には、モーツァルト、シューベルトやブラームスの交響曲全集が遺産として残されている。M氏の第25番ト短調、第29番イ長調のディスクは万人必聴のモーツァルト演奏に仕上がっている。ここでウィーン・フィルは、あたかも、作曲者自身が指揮しているかのようで、その味わいは無二の経験となって聴く人をその幸福感にいざなうこと、必定である。
63~66年ロンドン交響楽団と、ドボルジャーク交響曲全集を完成している。
中でも第8番ト長調作品88は、緊張感に溢れていて抜群の出来栄えに仕上がっている。
切れ味鋭いリズム感、表情の起伏は幅広く、優雅で雄渾、雄大な印象を与える。よく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と比較して、格下の烙印を押す過ちを人は犯しがちであるのだが、VPOは歌劇場活動中心の管弦楽団、LSOはコンサート主体のオーケストラで、優秀な演奏を展開するのは、同格であるといって差し支えない。特に、第8番ト長調で歯切れ良いトランペットの演奏や、ティンパニーお仕舞いの一撃など、極めて印象深いものがあって無二のレコードである。
ゲオルグ・ショルティ 1912.10/21~1997. 9/ 5南仏アンティーブ
アンタル・ドラティ 1906. 4/ 9~1988. 11/14デトロイト?
ユージン・オーマンディ 1899.11/18~ 1985. 3/12フィラデルフィア
ジョージ・セル 1897. 6/ 7~ 1970. 7/30クリーブランド
フリッツ・ライナー 1888. 12/10~ 1963. 11/15ニューヨーク
以上は、ハンガリー出身の名指揮者たちで、共通しているのは、ブダペスト生まれ、そして多数がリスト音楽院出身ということである。彼らの音楽性に共通するのは、鋭いリズム感で、スマートな音楽性であるということ、アゴーギグ緩急法は、控えめではあるけれど、ジョージ・セルの晩年の演奏に見られるように、決して機械的、冷酷さ一辺倒というものなどではなく、ヒューマンで温かみが施されているといえるだろう。それにしても、彼らの記録は、どれも名演奏と云えるのだが、ケルテス氏はわずか45歳まえ、遊泳中での事故死、痛恨の極みである。バス歌手の岡村喬生によるヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ、新潮社1983年刊にそのいきさつは、詳しい。
なにより、レコードに記録されたハンガリー出身指揮者の系譜は、さかのぼると、 アルトール・ニキッシュ 1855.10/12セント・ミクロシュ~1922.1/23ライプツィヒに辿り着く。 彼は、ベルリン・フィルハーモニーを飛躍的に発展させた業績を残している