千曲万来余話その386「ブルックナー七番、マエストロは90歳で矍鑠として、なお余裕綽々!」
終演して舞台がはねたのは21時15分頃で、演目はメンデルスゾーンのVn協奏曲とブルックナーの交響曲第七番の二曲だった。
指揮者譜面台にはミニチュアスコア、一度も頁がめくられることなく載せられたまま、満席拍手喝さいの上に、マエストロは楽員たちをくるりと後ろ向きにさせる合図を出し、舞台P席にも応礼するなど気配りを示して、首席奏者達にもそばまで歩み寄り握手を交わすなど、心温まる雰囲気たっぷり、それは、このコンサートのすべてを物語る風景だった。
そのあとのロビーではメンデルスゾーンで共演したヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコス50歳と一緒にマエストロのヘルベルト・ブロムシュテット90歳の2ショット、サイン会に姿を見せたのは驚きだった。マエストロは着替えもせずに、元気いっぱいをアッピール、盤友人がサインして頂けたのは、21時55頃で一番最後だ。紅潮した頬、目を真っ赤にしブルーの瞳の、ベシタビリアンに対して、なお一層の長寿を祈念せずにはいられなかった。
それ以前、指揮者としては岩城宏之、小澤征爾、井上道義、尾高忠明、オトマール・スイトナー彼にダンケシェーン!と声掛けすると、ビッテシェーン!と応じてくれたのは温かい思い出で、ブロムシュテット氏にはサンキュー・ベリマッチ!と言うと、ウエルカム・ウエルカム!だった。
他に、セルジェ・チェリビダッケというビッグネイム、深い紺色ヴェルヴェットベレー帽姿だったジョルジュ・プレートル彼らとは札幌厚生年金時代で、キタラホールではロジャー・ノリントン氏、実に上機嫌でVnダブルウイング・イズ・グッドゥ!と水を向けるとオールクラシックミュージック、イズ、ダブルウイング、オール!という短いコミュニケイションが、実に、記憶に残っている。チェリ、ブレートル、スイトナー、1975年3月11日だった岩城など今となっては黄泉の国の人もいるけれど楽屋に押しかけていた時代とは様変わりである。
18時15分、ステージを目にして、コントラバス8席が舞台左手側配置、前半プロでは第一と第二Vnは、6プルトで古典配置、第一Vnの奥チェロの3プルト右手にアルト4プルト、木管楽器二管編成で、ホルンとトランペットそれぞれ二管編成でティンパニー中央にしてトランペットと木管楽器上手配置、ホルン下手側チェロの奥に配置されている。Vn協奏曲では、コントラバス4挺、後半のプロ、ブルックナーでは低音弦楽器から4、5、6、Vnは8プルトでダブル、木管は二管編成、金管楽器4管編成とテューバなど総員で指揮者含めて87人だった。前半プロでは、総勢54人。
メンデルスゾーン、この作曲者とは所縁のあるライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団、オーボエの調律チューニングA音は、聴き慣れているのよりは、低目に感じられた。それは落ち着き感が伝わるものである。独奏者カヴァコスは、現在、最高のコンディションを披露するソリストで、管弦楽団員とのコンタクトが充分、どういうことかというと、テンポ感の緩め方、速め方が巧みで合奏との構成感が崩れないという、最高のテクニック、耳を発揮している演奏である。アンコールとして、バッハのパルティータ三番からガボット、ポリフォニーという二重声部が見事に描き分けられた演奏は無類の演奏芸術、アーティストとして至高の境地を披露し満場万雷の拍手であった。
ブルックナーの交響楽は、ワーグナー追悼の音楽、その後に続くスケルツォ、そしてフィナーレに続くという、コンサートマスター熱演が印象的で、マエストロの力みが無いベストな指揮ぶりに強く印象に残る演奏会、至福のひと時だった。