千曲万来余話その380「ピアノの音色ハンクとトミー1983年ライヴ、オーディオ論その二」
こんなレコード、どうだい?とクリケットレコード店長が手渡してくれたのは、MPSのジャズでピアノの二重奏ライヴ盤だった。
ハンク・ジョーンズ1918.7/31ビッグスバーグ~2010.5/16
トーマス・リー・フラナガン1930.3/16デトロイト~2001.11/16N・Y
ステレオ録音で、左右から二種類の異なった音色、それは、倍音成分が明らかで左側は軽快なスタインウエイ、右側から重厚なベーゼンドルファー・インペリアル・コンサートグランドピアノのものが流れてくる。
A面で、トミー・フラナガンはスタインウエイを弾き、ベーゼンドルファーをハンク・ジョーンズが弾いているように聞こえる。トミーのタッチは軽やかで、ハンクのものは深くて、太い音色を聞かせているようだ。彼の次弟はサド、トランペッターで末弟は天才肌ドラマー、エルヴィンという三兄弟。即興的な演奏は無類で、けっして、目立ちがり屋などではなく、トミーとの二重奏でも、出るときは出るけれども、引くときは引くという控えめさを併せ持った天才ピアニストである。
良い音とは何か?というと、きれいでノイズが無く・・・とこうくるのだが、そのことにより、デジタルの音は、確かにノイズは皆無であるのだが、ソースの重要な情報が欠落しているように盤友人には、聴こえる。それは、このレコードを再生して、意をさらに強くした思いがする。それは、二種類のピアノの音色の違いにあるのだ。
スタインウエイは、華やか、音色が高い音から低い音まで均一で、スマート感があり、倍音も豊かである。ところが、ベーゼンドルファー・インペリアルとなると、低音域の音の押し出し感はスタインウエイと比較すると、その厚みが段違いである。ハンク・ジョーンズもそこのところを、一層描き分けて、楽器の持ち味を十分に引き出している。
さて、ジャケット裏の演奏風景写真をみると、舞台下手側には、トミーがすわっていてそのピアノのペダルボックスの形状に注意すると、明らかにベーゼンドルファーである。B面、向かって左側でトミー・フラナガンは演奏しているようである。
この二重奏を聴いていて、驚かされるのは、調律が完全で、二台のピアノの音程ピッチに狂いが無いことである。当たり前というと、そうなのだが、その上で、二人が、同時に音をぶつけ合うのではなく、相手を立てるために引いたり、自分が主になったり、描き分けているのが手に取るように再生されると、これは、阿吽の呼吸、二人の名人芸に聴衆の喝采と共に、記録芸術再生の愉悦を、深くかみしめることになる。
この高みを目指して、23年余りの歳月に至るのだけれども、その時々の充実感こそ、礎であってどれ一つとして、無駄なひと時ではなかったように振り返ることが出来る。良い音とは何か?それは、経験を積み重ねた上に求められるもので、ラインを接続してから始まる、苦難の歴史の克服にある。様々な人との出会い、切磋琢磨、向上心、探求心、さらに言うと意があり、注意有り、周囲に恵まれ、達人と出会いがあって、その上で音楽と出会い、袖触れ合うも他生の縁、気がつくとそこには、音があり音楽があり、良い音とは、正に色々なのである。