千曲万来余話その377「金銀銅で音が変わるのか? というオーディオ論 <その一>」

オーディオで、プレーヤーという入口、アンプという胴体、スピーカーという出口などの三部構成認識が必要である。さらに付け加えると、オーディオ・アクセサリー付属品という要素もあって、それらの総体が、オーディオの構成ということになる。
 プレーヤーでは、アーム、カートリッジ(ピックアップ)、ターンテーブル、テーブルシート、そしてモーターなどなど、詳しく見ると、ほかにもまだ云えるだろう。モーターについていうと、アイドラー式、ダイレクトドライブ式、糸ドライブ式など千差万別で、多数派はアイドラー式というもの。モーターにアイドラーを装着、ターンテーブルを回転させる方式、そのアイドラーの材質、ゴムによっても音は、変わる。
 ターンテーブルのシートによっても、音は変わるし、ターンテーブルの材質によっても音は変わるから不思議だし、面白いし、奥が深い。
 だいたい、ターンテーブル、モーター、アーム全体を組み立てるキャビネットによっても、音は変わる。木の材質を選ぶことによって変化があるし、たとえば、キャビネットのかどを角にするのか?丸くするのか?でも、影響が出る。
 カートリッジ、いわゆるレコード針とそれを稼働する本体、MM式、さらに昇圧トランスを必要とするMC式、なども微妙である。針と本体を接続するものとして、リッツ線がある。その線材として金線、銀線、銅線がある。これらはオーディオアクセサリーといわれるものなのだが、音に違いを愉しむ経験が、可能である。さして違わないといわれる向きもあるには、あるのだが、金はキンキン、銀はギンギン、銅はドウドウというと、笑い話のようだけれど、体験すると、実に奥が深い。盤友人は、ヴァイオリンを再生する音でもって、その差を確認して、一番、実際に近いかどうかの判断を下したものである。結論は、銅、でした。金と同じという漢字ではあるのだけれども、感じは違うのであって、自然さ、ナチュラルな感覚を尊重して、銅という線材を選択、洗濯ではなくて、選択したのだった。
 さらに付け加えると、リッツ線の結線段階で、プラスとマイナスを逆にする位相の違いを経験したことがある。右チャンネルだけ逆位相にして、出てくる音像に変化を加えるという。なんのことはない、音は変わり、その変化に惑わされるのだが、正位相、それで良いだけの話だ。
 カートリッジというと、メーカーによって音に違いがある。シュアー、FR、エンパイヤー、それぞれのお国柄、音色に違いが有る。ウィーン・フィルハーモニーのレコードを再生したとき、一番、自然に感じられたカートリッジは、オルトフォンの音色だった。ヴァイオリン、アルト=ヴィオラの音色もさることながら、チェロとコントラバス、音のかたまり(塊)感に、優れているものがあった。
 音の張り具合は、ピアノを再生する時、感じることが容易である。位相のチェックをするのも、ピアノのタッチで判断することが、最適である。音の発信感は、アナログ録音の得意とするところであり、デジタル録音、一番の弱点である。それは、ノイズが無いという宣伝文句の表と裏の関係にあって、アナログにはノイズが付きものであっても、聴く耳は、選別する注意を働かせているのであり、それをカットしているのは、質的に、別世界だというオーディオの話である。