千曲万来余話その373「仙台フィルハーモニー、熱気にあふれた函館公演の意義」
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いていてその演奏を支えるプレーヤー達と独奏者が一体となった集中力に圧倒されて、心を揺り動かされてしまった。作曲者の表現していたロマン派音楽に加えて、ロシア音楽のメランコリーが一杯に溢れた演奏、若く美しい函館出身、岡田奏<カナ>さんの力強い打鍵で繰り広げられた演奏は、函館市民会館満席聴衆のハートをつかんで離さなかった。 Sigeru-kawaiというメーカークレジットのある楽器は、彼女が愛するピアノ。輝かしい音色から、アンコールで演奏された、月の光、充分な集中力で演奏されていて、その音色はフランス印象派作品に相応しく、ドライで玲瓏、冴え冴えとした明るいものだった。
独奏者のドレス、浅田真央さん風の黒を基調としたシースルータイプ、聴衆に応える笑顔に、客席一杯の老若男女、手を振って応援していた。管弦楽団員達の気力溢れる演奏、管楽器の意欲溢れる演奏、弦楽器プレーヤー入魂の演奏ぶりは、目の当たりにして実に快いものだった。
指揮者は広上淳一、ツボにはまった指揮ぶりで、厳しい演奏者たちの輪の中心に居た。楽器配置は、ティンパニー下手配置、ホルンはコントラバス側に配置されていた。序曲ルスランとリュドミーラの軽快なテンポで音楽会は開始され、メインディッシュはチャイコフスキーの交響曲第五番ホ短調、アンコールとしてグリーク、ホルベルク組曲からサラバンド、弦楽合奏が披露された。
仙台フィルハーモニー管弦楽団は、1973年創立、初代に作曲家芥川也寸志の名前が見える。龍之介の三男であり、彼の音楽性は、DNAとして受け継がれていて、若いコンサートマスターを筆頭に熱気あふれる演奏が鮮明である。コントラバスを響きの土台として、ステージ横一列に連なった響きは、アンサンブルの生命であり、演奏者のプライドを表現していて迫力充分であった。
コントラバスに目を向けると、首席は、ピッツィカートの時、弦を弾く右手が円を描いて顔に近づける。これは、目にして心打たれる姿だ。パート六人全員が揃うと、鬼に金棒だと思われる。@ 札幌交響楽団、リハーサルしていた時、指揮者岩城宏之は、コントラバス首席に注意力を要求していて、それに対して周りのパート員が集中する指摘をしていたことがあった。管弦楽は、合奏アンサンブルの醍醐味であって、オーケストラメンバーがスタンドブレイに陥る愚を戒めパートがバラバラになる危険に注意を払っていたことが、盤友人には記憶されている。
ティパニーやシンバルなど、全体を彩る打楽器演奏は緊張感を高めていて、聴いていて実に楽しい。 チャイコフスキーの名曲を聴いていると、いつも、気になることがある。
それは、楽器配置問題。現在主流のスタイルは、演奏者が慣れ親しんだものであっても作曲家の描くイメージとは、違うということを指摘しておきたい。たとえば、トスカニーニは、徹頭徹尾、ヴァイオリン両翼型を貫いていたことは、意識する必要があることだ。フルトヴェングラーは、第二次大戦後、過去の配置を封印して現在のスタイルの基礎となっている。これは、何を意味しているのか? というと、第一と第二ヴァイオリンを舞台両翼に広げる配置での演奏者の合奏緊張感を解除している状態であって、それ以上の音楽がある配置なのである。すなわち束ねているのは合奏容易なだけであって、コントラバスの土台は、第一ヴァイオリンやチェロの位置的、緊密性を表現する配置であってほしいというもの。それは、指揮者に突き付けられた疑問に他ならない。