千曲万来余話その372「ベルリン・フィル、そのオーディオ愛的歴史認識」

歴史を正しく知ることは、必要な態度であって括目して注意を払うのが賢明といえる。
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、1882年3月26日、ルートヴィヒ・ブレンナー指揮により、第一回演奏会を果たしている。ヨハネス・ブラームスが自作の交響曲第三番を指揮して、第一ピアノ協奏曲ニ短調を自ら演奏したのは1884年1月29日、明治17年に当たる。
 ハンス・フォン・ビューロー指揮による定期演奏会の開始は1887年10月21日のこと。1888年1月23日には、リヒャルト・シュトラウスが演奏会に登場している。1894年2月12日ビューロー死去。1895年10月14日、アルトゥール・ニキッシュ四十歳、コンサート最初の指揮となる。その後ブルックナーの交響曲第五番全曲を取り上げたのは1898年10月24日、ライプツィヒで初演したことのある第七番は1920年になってようやく上演されたのだった。1903年と1904年には第九番が上演されていて、1905年第三番、1906年第八番、1907年第四番、こうして彼はブルックナーを主要なレパートリーとして確立していたのである。
 ニキッシュは一方で、チャイコフスキー交響曲第五番ホ短調を積極的に取り上げて作曲者も彼を高く評価していた。他にもR・シュトラウス、G・マーラーたちの作品を指揮して、最高の演奏を披露。1913年11月に、A・ニキッシュはベートーヴェンの交響曲第五番ハ短調全曲をSP録音していた。1922年1月23日ライプツィヒで、その67年の生涯を閉じた。ニキッシュ追悼演奏会は2月6日のことで、指揮を執ったのは、ウィルヘルム・フルトヴェングラー36歳であった。
 ベートーヴェン第五番を演奏する彼らには、違いがあった。ニキッシュは第一楽章が501小節の楽譜採用を記録していて、フルトヴェングラーは、全休止389小節目ありの502小節を採用している。 音楽には、間が重要であるという認識からすると、フルトヴェングラー採用の楽譜が以後の指揮者にとって支持されているのは、理解が容易である。ところが、ニキッシュの採用している音楽は、作曲が完全の記録であって、日本人作曲家でニキッシュ高弟の山田耕筰も踏襲している史実はSP 録音ではあるけれど、忘れられてはならない記録であろう。
 間が大事とはいえ、間違いという言葉もある通り、ベートーヴェンの音楽が簡単にスルーされているのは現在であって、これからは山田採用の楽譜を検証することが必要なことであろう。NHK交響楽団前身の、新交響楽団が採用していたからである。2016年10月22日土曜日、NHK-FM放送でオンエアされていたSP録音には501小節で389小節目全休止の無い演奏であったのだ。
 SP録音を、オーディオ的にクリアな音質で再生すると、かの間が無い音楽が姿を現す。ただしB氏は123と124小節目に確実に間を設定している。だから、間にも二種類があって、作曲家のものと、第三者によるものと、識別を働かせるのが、オーディオ愛的聴き方というものである。
 盤友人はレコードプレーヤー、EMT927に、初期型のアーム、RM297を搭載する事にあい成った。チャンネルセパレイション分離が、さらに鮮明となって第二ヴァイオリンが右スピーカーから聞こえる演奏が、一段と説得力をアップした。それはそれで、B氏ハ短調交響曲を鑑賞する、聴き方の必要十分条件といえる。 
 ヴァイオリン・ダブルウィングこそ、オーディオ愛に応えているのだろう。