千曲万来余話その369「フルトヴェングラー、知れば知るほど、微妙なり・・・」

近代史において、指揮者という存在は何時の頃にさかのぼることが出来るだろうか? 
 だいたい、作曲家ベートーヴェンの初演コンサートにエピソードが有名なことは記憶させても良いことだろう。たとえば、第九交響曲の演奏終了後にアルト歌手が彼をサポートして、聴衆の熱狂する様子に対して振り返らせたこと、聴覚障害をもったB氏にとってコンサートマスターの存在の上にも指揮をとった彼が居たということが指揮者の存在の証明だっただろうが、その歴史はそのころ以前から始まっていたことは確かであろう。シュポーア、ウェーバーなど、作曲家自体の指揮が、管弦楽団の指揮者を必要としたということでもある。
 ワーグナーの時代のころ、ハンス・フォン・ビューローとか、ハンス・リヒターといった指揮者たちの活躍は、近代史における指揮者としての専門家といえるかもしれない。それは、江戸時代末期から明治維新の時代とオーヴァーラップするのは、興味深い事実である。坂本龍馬の登場した時代と期を一にするのであろうか ?
 1886年1月26日、ベルリンに生まれた洗礼名、グスタフ・ハインリヒ・エルネスト・マルティン・ウィルヘルム、彼は幼児期をバイエルン州南部、テーゲルン湖に突きだした半島の町に過ごした。考古学者を父に持ち、家庭教師に育てられ、作曲にもその才能を発揮していたと伝記に書かれているのはさらに興味深い。十九歳、彼はブレスラウ現在のヴロツワフの歌劇場が、最初の音楽家としての経歴に当たる。トスカニーニはすでに指揮者として活躍を始めていたし、1889年には日本帝国憲法発布といった時代でもある。1906年には、ミュンヘンで指揮者デビューを果たしていた。 フルトヴェングラー最初のSP録音は、1926年、ベートーヴェン交響曲第五番ハ短調、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、アルトゥール・ニキッシュに続く指揮者であったというのは、画期的な、特筆すべきキャリアである。 
 1947年から1954年にかけてRIAS自由ベルリン放送協会収録、演奏オリジナルテープ全てが、すでにアウディテからリリースされていたものだが、このたび、ドイツプレスによるLPレコード14枚で初回限定販売される運びとなった。 
 高速マスターテープによる、新しいプレス、その音質に期待が寄せられる。 
 フルトヴェングラーの指揮芸術を語るとき、セッションによるものとは異なり、演奏会そのものの録音というのは、忘れてはならない事実なのであり、現代のコンパクト・ティスク録音リリースの手本になっているともいえるのだろう。迫真の録音でありその上、入魂の演奏となるのは、余人に真似できないということは、笑えない事実であり、空前絶後の演奏記録は、LPレコードにまったく相応わしい。レコードに針を落とす、と一般人は語るのだが、盤友人は、針を下(お)ろすというのは、その時の緊張感を表現したいからである。落とすのは、無神経極まりなく、その微妙な意味は、あたかも厳かな儀式を表現するまでであり、フルトヴェングラーの時、落としては、傷がつくというもの、多分、共感される言葉ではないだろうか ? これくらい、微妙な法悦至福のひと時の開始である。ワーグナー、トリスタンとイゾルデ前奏曲、愛の死は、聴くものまで影響する指揮芸術記録の再生儀式といえるのだろう。これから、芸術の秋、夜の愉しみはこれから・・・