千曲万来余話その362「悲運の天才ヴァイオリニスト、17歳の演奏記録ハッシドを聴く」
以前、知人のヴァイオリニストに、楽器の演奏で大事なのは左手と右手のどちらか?と質問したことがある。
盤友人は手にしたことが無く、聴くだけだったので、さぞや左手ポジションで音程の取り方とか、ヴィヴラートの掛け方等かな?と予想していたのである。彼は即座に、右手!というものだった。つまり、ヴァイオリニストにとって音を出す生命は、弓を操る右手である、というのだ。
日本には、知られざる名ヴァイオリニスト、渡辺茂夫(1942~99)がいる。彼はハイフェッツに才能を見出され渡米して、ジュリアード音楽院に学び、しかし演奏家としてのキャリアはわずか17歳くらいで閉じられた悲劇の演奏家だった。モーツァルトの再来とまで評価されるなど才能に溢れていたけれど決して恵まれた運命ではなかった。彼を育てた叔父の季夫さんが語っていた茂夫の幼い時は、とにかく、ロングトーンを朝から晩まで明け暮れていたというものがある。すなわち、彼のスタートは、弓遣いの訓練に集中していたのである。その上で、作曲法を学習していて楽譜の読み込みがきちんと身についていて、室内楽曲などアンサンブルは初見でこなせる演奏家だったということで、神童と言われたゆえんである。「まるでモーツァルト」というのは、一緒にアンサンブル演奏した人の言葉である。
ヨーゼフ・ハッシド1923~50はポーランドに生まれ、17歳でSP録音四枚、八面の録音しか残されていない演奏家。復刻モノーラルLPレコードで鑑賞できる。1940年に精神を病んで入院、手術したことが原因で生命を絶たれた悲運の天才。
アビーロード第3スタジオ、ピアニストで当時40歳のジェラルド・ムーアと共演を果たしている。プロデューサーは、ウォルター・レッグ。
コンサートでは、チャイコフスキー、ブラームスの協奏曲を演奏、1935年、ヴィニャエフスキー国際コンクールでは、演奏時記憶欠落もあり入賞はしていなかったという経歴の持ち主。その時のグランプリはジネット・ヌヴーだった。
モノーラルLPレコードで復刻録音を鑑賞できるのは、レコードコレクターにとって、わずかな幸運である。この一枚を所有しているか、いないかで、その人の収集キャリアを物語る、というものだろう。それほど貴重な復刻レコード。輝かしい音色、幸福感の豊かなムーアのピアノ音楽の再生に出会ったとき、鑑賞者は音楽のなんたるか!を思い知らされることになる。
ドボルジャークのユーモレスク、チャイコフスキーのメロディー、サラサーテ、マスネー、アクロンのヘブライの旋律、クライスラーのウィーン奇想曲、そしてエルガーの気まぐれ女など、テクニックの冴えのみにとどまらず、ピアノとの極上アンサンブルを経験する。
本当に、彼がもっと演奏活動を続けることができたなら・・・と思わされることは、盤友人だけの思いではないだろう。これっきり、これっきりもう、これっきりですか?スピーカーにそう問いかける、哀しいことであるけれど、レコードを再生することが出来るのはこの上ない幸せなことなのだ。彼の人生はそれまでの努力があり、天才とは努力する才能の持ち主のことであるという至言!