千曲万来余話その361「孤高の天才ヴァイオリニストの記録、ヌブーの二大B氏の協奏曲」

協奏曲コンチェルトというものは、六十人余りのオーケストラをバックにして、独奏者ソリストが彼女の名技性をいかんなく発揮したもので、1948年4月と1949年9:月の演奏記録としてキングインターナショナルがリリースしたレコード、ジネット・ヌブー1919年11月パリ生まれで、1949年10月29日サン・ミゲル、飛行機事故により客死する。30歳の若さで亡くなった彼女の残したディスクは、すべて貴重で特にロジェ・デゾルミエール1898~1963 指揮したブラームスの演奏は類を見ない緊張感に溢れた演奏記録である。 
 普通、協奏曲ではソリストを引き立てるために管弦楽の方は、控え目に演奏されることが考えられる。ところが、ヌブーがステージに立つとき、彼女入魂の演奏によりバックのオーケストラは逆に音楽の炎を燃えさかえらせることになる。演奏者全員の緊張感の上に、さらに、抜きん出て独奏の火花をまき散らす。だから常識の枠を乗り越えた記録になっているといえる。 
 デゾルミエールの指揮は、オーケストラここでは、フランス国立放送管弦楽団のメンバーを奮い立たせ、あるときは冷静に、あるときは激情的に、つけている。何より、レガート、レガート、レガート、旋律線のフレーズがしなやかで、なおかつ、目の積んだベルベットのような演奏を実現している。  ` ヌブーはヌブーで、オーケストラのフルヴォイスを突き抜けて、美音を披露している。それは、大音量ではなく、輝きによる存在感であり、そこのところ、ポップスミュージックでヴォリュームのツマミを回して聞かせるのとは、次元の異なる音楽である。孤高の芸術とは、まさに、人並み外れた音楽のことを指していて、彼女の芸術は不滅であることが理解される。ヌブーは、星になったのであった。 
 それでは、彼女に比肩する現代のヴァイオリン奏者は居ないのであろうか?疑問を抱くのがふつうであろう。そう! 無二の音楽なのだといえる。なぜなら、音が違う。スチール弦に慣らされた現代のヴァイオリン音楽と、羊腸ガット弦とは別世界なのである。よくガット弦は切れるからという言葉を聞かされるのだが、彼女はそのリスクを回避することなく、対決する態度に聞こえる。だから、真っ向勝負の態度なのである。いつも、緊張感を高めているのではなく、あるときは、祈りを捧げる風な音楽を奏でていて、そこのところ、天才のなせる業なのだ。
 
ブラームスの演奏を聴いていると、ファゴットの奏でる中低音域の音楽の重要性に気づかされる。ベートーヴェンという古典派の世界とは異なる別な世界のロマン派、彼女はその共感の上に立って内面性の追求を極めている。後者は、ハンス・ロスバウト指揮、南西ドイツ放送交響楽団、これらライブの直後、1949年10月29日、飛行機事故により客死した彼女、録音は不滅の記録で貴重だ。音質は鑑賞に充分なモノーラル録音で、こういう音楽を再生するためにオーディオシステムはあるのであって、美の追求は、音にではなく音楽のためにある。芸術の再生にこそ、LPレコード、アナログの世界はあり、音楽を愛する人のために、レコードはあるの・・・・・