千曲万来余話その360「国立能楽堂に足を運ぶ、十三回忌追善会でお能の伝統を伝える調べ」

お父様が亡くなってからもう十三年も経つのね、休憩の合間でもれ聞こえる会話では、笛方の一噌幸政ユキマサ氏ご長男、幸弘ユキヒロさんが企画した音楽会は囃子を中心に据えた継承される音楽、そして仕舞い、休憩を挟み半能の披露、一調一管という能管と太鼓、吉谷潔との二重奏や、最後に変幻化という新作能、平成に生きる観世銕之丞、梅若玄祥、野村万蔵らの舞台に地謡と、笛方で藤田六郎兵衛ヒョウエ、尺八、ヴァイオリン、コントラバスを従えて、幸弘さんの曲が披露されて中に法螺貝、宮下覚栓氏も出演するなど意欲的な作品が上演された。午後一時半からきっちり四時間経過した音楽会だった。   上演者にも老若世代、和洋混在、満席の聴衆も老若男女ヴァラエティに富み、安土桃山時代からの歴史が伝えられた演奏会に、盤友人は朝九時札幌・千歳から、渋谷・千駄ヶ谷へ正午にたどり着き、圧巻のドラマを目の当たりにした。  
 幸弘さんの単独で能管演奏、幸政氏との合作曲、入魂で迫真の循環ブレスという息をのみながらも吹き続けるという演奏、なにより、融とおるという半能、彼が父の演奏を誇らしく思い感動したという曲、それが上演されたのを、格別な思いで盤友人も胸に刻んだ。笛でのシーソウッという音色は忘れがたいもので十六世紀室町からの音楽に、悠久の時代の音楽を耳にした。  
 日本の音楽は、リズム、旋律、さらに即興演奏という三拍子の上で、仕舞いの舞台付きという総合芸術、幽玄の世界、扇子の金箔も室町時代からの歴史を生き抜いたもので、観客として感慨も一入、深夜零時には無事帰宅して、夜空には煌々と満月が一際印象的で今年二番目に小さいものだとか、 音楽の魅力に満足した七月九日であった。追善会ではあっても、亡き幸政氏の笑顔が思い浮かばれるようなマチネー音楽会、幸弘さんの縁ユカリ広い人たちに包まれて、幸せな一日を過ごすことが出来、感謝する思いを共有したのだった。    
 幸弘さんには二時間、人前で能管を吹き続けるという即興演奏の達人、亡きローランド・カークのLPレコードにサインしていただいた経験のある盤友人、ただ単にジャズとの融合を図るのみにあらず、音楽のペイソスを表現する稀少なアーティスト、父親から笛を稽古されて神髄を受け継ぎ、さらに創造する伝統を求め続け、求道、入魂、演奏する心、迫真の演奏者、ミュージシャン、まだまだお若い笛方幸弘さんで、獅子奮迅の演奏する姿は、人々に強く記憶されることであろう。ハートのある音楽、尺八辻本好美さんの即興から、ヴァイオリン壺井彰久さん、コントラバス吉野弘志さんらのユニットまで、意欲的な試みの象徴で、ダイナミックだ。狂言の、連吟で鉢叩き、野村萬先生、手向けの選曲でも可笑しみ満点など、工夫された演目であった。幸弘の会、支える組織もあって盛会。
 北海道の翼、札幌から東京へのトンボ帰りも無事で、何より、音楽の神に守られた一日、すべての人たちへの感謝をお伝えして、このサイトにしたい。真昼三十度を超える気温、東京は湿度が有り、札幌はそれが無い、夜空北には北斗七星、西にアークトゥールス、銀河で白鳥座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイル、何時頃からの光なのか?地上に届けられている・・・