千曲万来余話その355「ドビュッスィ前奏曲集、グルダの弾く過去への貢ぎ物」
1969年2月録音、МPSレコード、彼がピアノに向かう姿と象徴的なピアノのフレーム形状からして、その写真は楽器がスタインウエイであることを知らしめるものとなっている。
フリードリッヒ・グルダ1930・5・30ウィーン出身2000・1・27アッターゼ湖畔自宅没が39歳頃のレコードで、クロード・ドビュッスイ、24の前奏曲集を聴く。近接したマイクロフォンによるものらしく、生々しいスタジオ録音になっている。第1巻は1909~10年パリで作曲されていて第2巻は1911~13年パリで作曲。ラヴェル作曲夜のガスパールは1908年作曲であり、ドビュッスィの前奏曲第2巻は明らかに、その影響を受けているように聞こえる。彼はラヴェルの13歳年上であり、その関係は、フランス印象主義の旗手として微妙である。ドビュッスィはフランス象徴派の詩人たちとの交流を通して、管弦楽や、ピアノ音楽などの重要な作品を発表している。
グルダは、後年、ジャズ音楽との関わりをレコードしている異色のピアニストである。ウィーンの三羽烏として、パウル・バドゥラスコダ、イエルク・デムスたちと有名な存在で、その盤歴は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、そしてドビュッスィなどと重要な作品を残している。
グルダの演奏は、テンポ感のしっかりした端正なものが多く、彼の性格は一途でひたむきさがある。ドビュッスィの前奏曲集は、打鍵の確実で、しっかりした音響を記録している。きらめくような輝かしい音色からそこはかとない音色など幅広いピアニズムを披露していて、ドビュッスィの音楽としてその性格が充分に描かれている。軽快なリズムが基本であって、全曲を一気に聴かせる集中力を有している。D氏の鍵盤音楽の源に、ラモーやクープランたちが居たことを認識することは、重要なファクトである。すなわち、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽の柱、ハイドン、モーツァルト、シューベルトなどウィーン音楽の流れ、リスト、ショパン、シューマン、メンデルスゾーンなどのロマン派音楽などの時代の後、重要な印象主義のピアノ音楽として特色がある。彼らの継続として、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチらの近現代の音楽へとピアノの世界は、百花繚乱の様相を呈している。
前奏曲集の第7曲、西風の見たもの、第8曲、亜麻色の髪の乙女などを聞いていると、ダイナミックスの対比など白黒が明快な音楽は、ドラマ性が充分である。それぞれ、12曲ずつの2管編成で、バッハの平均律曲集とパラレルな様相を帯びていて、不即不離の音楽ではあるまいか?
グルダの演奏には、一貫して彼の姿勢が聞き取れる。それは、形式より造形を優先したスタイルを崩していないところにある。決して情緒的な気分を感じさせるところなく、客観的な演奏に対して、彼のプライドを感じさせる。昭和45年、1970年には、旧札幌市民会館に登場している。バッハのイタリア協奏曲を冒頭に置いたリサイタルは、彼の音楽性を披露していて考えさせられるものがある。バッハ作曲でありながらイタリアという歌謡性にあこがれた音楽、すなわち、形式の上に造形性を優先したポリシーは、グルダの一生を通したスタイルで、ドビュッスィの前奏曲集は、メジャー録音ではないけれども彼のディスコグラフィーに重要な刻印を残したものといえる。