千曲万来余話その344「モーツァルト、死者のためのミサ曲K626を桜の季節に・・・」

 5月9日に札幌でライラックの開花宣言。白梅七分、紅梅二分咲きの平岡梅林公園から便りあり。  
 四月二十八日、当地で桜の開花が伝えられて、5月7日に新聞で中央区103歳女性の訃報を目にした。千曲万来余話その246で発信していた盤友人の、小学生と高校生時分にピアノ教授して頂いていた先生、桜の便り当日のご逝去だった。十年前以来年賀絶たれていて、そしてご天寿を全うされた。晩年は、書の道に励まれていたとのこと。ここに謹んで、ご冥福をお祈り致します。   音楽とは、生きているものの営みで死者に対して、何の意味があろうか?と言ってレクイエム、鎮魂曲を否定する音大学生が、神戸の友人だった。彼は今もそのように語るのだろうか?死者は亡骸であるのだが、霊魂を認める、認めないにしても、モーツァルトのケッヘル番号626、この音楽を演奏する喜びは、何ものにも代えがたいものがある。天空の宇宙は鳴動するがごとくであるとおっしゃっていた方がいる。画家横尾忠則の実感。盤友人も、同感であり、その演奏経験はザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院管弦楽団を前にして、ハンス・グラーフが指揮していた。昭和最期の12月、札幌厚生年金会館でのコンサート。 
 あのオーケストラで、3人のコントラバスのうちの若いブロンド女性奏者、ふくよかな低音域でスウイングしていたのが印象的。コーラスメンバーは120名だった。ティンパニー奏者の風貌はエルネスト・アンセルメそのもので、いかにも音楽家勢ぞろいの感がした。 
 モーツァルトの作曲は、第8曲、涙の日ラクリモーザの8小節ほどまでが自作で、弟子のジェスマイヤーが続きを補っている。後半は、メモを基にした管弦楽版で、モーツァルト35歳の絶筆、7月から書き起こされて12月に人生を閉じている。ケッヘル番号626というのは、625の次の数字、ということは、5の4乗という絶対完成から次の1曲という次第で、意味深長だ。 
 カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団合唱団、1960年録音は、テレフンケン・レコード、ステレオ録音で古典的な名盤。 
 オーケストラは、従来のコントラバス上手側配置で、合唱はソプラノが指揮者左手側で、アルトは前列右手側、後列にはテノール左手側、上手側にバスが配置されている。ステージ上で、パレットとして、左右に対話する声部、その上に奥行きとして前列女声、後列男声というのが理想とする配置。横一列に、S、A、T、Bというのが現代の主流なのであるがこれは、理想とする配置にあらずして、単層構造という現代のファッションであって、いかにも、横一列に四声部というのは、効果が下がるということに気がついていない。モーツァルトの音楽としては、左右二声部の対話こそ望まれる理想配置である。
 レクイエム、エテルナム、ドーナエイス、永遠に魂の鎮まることを祈る、キリエ、エレイソン、神よ憐み給え、クリステ、エレイソン!キリストよ憐み給え!ドーナ、ノービス・パーチェム。 
 Sソプラノ歌手、マリア・シュターダー、Aアルト、ヘルタ・テッパー、Tテノール、ヨーン・ヴァン・ケステレン、Bバス、カール・クリスティアン・コーン。それぞれ、ソリストの立派な歌唱を耳にして、一層、魂の平安を覚える一枚である。