千曲万来余話その340「モーツァルト、弦楽四重奏曲ハイドンセット 第14番ト長調モノ録音」

第一とか第二ヴァイオリンとか、もういいんでないかい?とある人から言われて、盤友人、まだまだ言いたいことがある・・・と言い返す。たぶん、サイトウォッチャー諸姉諸兄におかれまして、ウンザリという方は、すぐさまサイトを別画面にというパターンと、今度は何かな?という我慢強い方といらっしゃることだろう。その一人の方のためにでも、腕によりをかけてブログ発信を心がける。・・・モノーラル録音の話。すなわち、左右のスピーカーからではなく、二台のスピーカー、混然一体となった音源が相手の話である。札幌音蔵社長KT氏始めTY氏など、オーディオに限らずコンサート会場でも、聴くときは、モノーラルの感覚で聴いているんだよ!とおっしゃる。     
  なるほど、常識の一つに演奏の基本はモノーラルという感覚が、オーディオ関係者によく聞く話であるのだが、それでは、弦楽四重奏の場合は、いかがであろうか?聴く立場では、なにもこだわることがないだろうという。ところが、演奏する立場では、様々な、楽器配置が考えられる。つまり、ヴァイオリンが第一と第二ヴァイオリンという二台の演奏が、あるという音楽なのである。アルト=ヴィオラ、チェロという低音域の楽器と四台の楽器による音楽の、理想とするものはどこにあるのか?という疑問である。     
 答えの一つに、作曲家は、どのような配置にあっても構わないというものがある。それは、その通りなのだが、演奏効果が最大の楽器配置は?というと、答えは、一通りに至る話ではないだろうか?それが、ヴァイオリン両翼配置というものである。第一ヴァイオリンの隣に、ヴァイオリンではなくて、チェロを配置させるという発想が、第二次大戦以前の音楽界では、有力であったのである。その後、演奏風景写真は、両翼配置がネグレクトされて、現在の時代を象徴する第一と第二ヴァイオリンを並べるのが主流となったのだろう。時代というもの、現象を深く考察する力が、問われている。     
 ここで、モノーラル録音による弦楽四重奏の話、モーツァルトの曲にハイドンセットという六曲、師匠ハイドンに献呈された音楽がある。第一番ト長調K387というのが、弦楽四重奏曲第14番である。ちなみに、第六番ハ長調は不協和音というニックネイムでK465。1785年作で3年がかりで六曲を作り、最後が不協和音というと、何か意味ありげな話ではあるのだが、曲の開始が、調性を不安定にしている音楽であって、曲全体の話ではない。弦楽四重奏の多様な音楽が作曲されていて、モーツァルトそのビッグネイムの神髄に触れることが出来る。    
 ヴィアノーヴァ四重奏団、フランス・エラートのレコードが箱物で入手できる。1974年前後の録音で、馥郁たる音響を楽しむことが出来る。音響のみならず、音楽の愉悦ここにありといえる、極めつけのレコード。低音域の支えは、チェロの演奏でまかなえる。それぞれの四重奏団の特色は、チェリストの力量に左右されることが多いのだが、ここでは、軽快、明瞭な演奏が記録されている。演奏する楽器配置で、それをパレットに見立てると、奥行きとして左右でチェロ、アルトが設定されて、手前左右に第一と、第二ヴァイオリンが展開されると、作曲者の前提とする楽器配置なのであろう。チェロ、アルトという左右の旋律が演奏されて、第二そして第一ヴァイオリンという具合に引き継がれて音楽が渦を巻く。ハイドンセットをモノーラル録音で再生しても、ヴァイオリン両翼配置が頭に浮かぶ、盤友人である。