千曲万来余話その337「モーツァルト、ピアノ協奏曲ト長調K453、ボールト卿とプレヴィン」
ステレオ録音によるモーツァルト作品の愉しみに、そのオーケストレイション管弦楽法の妙味があるのだけれど、滅多にその神髄に出会うことはない。ところが、このエイドリアン・ボールト卿の指揮するト長調のピアノ協奏曲は飛び切りの名演奏、名録音である。クリストファー・ビショップによるプロデュースというので貴重なもの。EMIというレーベルは、イギリスを代表するLPレコード。左右両スピーカーから流れ出す音楽が実に雄弁であってこれが、貴重。
先日、札幌音蔵社長KT氏と、信頼する技術者SK氏お二人の手により、愛器オイロダインのヴォイスタッチというトラブルの修理をクリアすることができた。メンテナンスと使用されているケーブルの交換に加えてその上、手を入れて、スピーカーからあふれ出る音楽で、録音空間情報の豊かさに、震える思いを経験した。ザラついた弦楽器は、透明感が一層の向上を見せて磨きがかかり、コントラバスの豊かな音楽性に、安定感が加えられる。豊穣の音響世界、プラス演奏者たちの演奏意欲表現に存在感が上乗せさせられた。アンドレ・プレヴィンによる1967年頃録音、そのまろやかなピアノのタッチ、風合いは、表現する言葉がむなしく感じられる。極上の音楽は、LPレコード歴史上ピークを成すもの、それが、日本のレコード市場では流通していなかった。盤友人は、偶然入手できていたもので、それは今日、蘇ったものといえる。不思議なもので、時間が経過して、こちらのコンディションが巡り巡って、真価が発揮されたのだ。レコード、それ自体が宝物であっても、持主のポテンシャルがそれなりに高まることにより、輝きを放ったのである。
これは、レコードコレクターを自認する人なら、理解可能な話なのである。レコードそれ自体はただのヴィニールに過ぎなくて、オーディオ装置の手を通して音楽が再生されて、モーツァルトの愉悦を鑑賞することが可能となる。 さらに言うと、音盤を回した人が音楽情報を発信し、サイトアクセス・ウォッチャーが情報を受容して初めて、その世界は、イメージ・サイクルが成立して、モーツァルトの音楽が再生されたことになる。作曲者、演奏者、鑑賞再生者、情報受容者という時空世界の創出である。そのとき、演奏者による、ヴァイオリン両翼配置選択は、キーワードである。なぜなら、スピーカーは左右二台であり、その情報は第一と第二ヴァイオリンの音楽の展開が、左右二チャンネルによることにより、演奏は、相乗効果を発揮するからである。ヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバスの音響が、横一列に並ぶステレオ録音多数派の音楽とは、一線を画する。この違いは、最近での、音楽情報に敏感な人には、理解が可能な話であって、テレヴィ番組、題名のない音楽会で、高関健指揮する、東京シティーフィルハーモニックの演奏を視聴することができる。それは大変に、貴重な話であるのだ。この楽器配置、演奏者たちは、言葉で語る話ではなく、演奏選択肢の一つの話なのであって、ハードルは高く、今まで封印されていた世界、あえていうと、昭和の前期には普通であった配置でも、戦後には選択されなかった楽器配置で、二十一世紀に入って再興された音楽なのだ。
エイドリアン・ボールトは、アルトゥール・ニキッシュに師事した英国の指揮者で残されたディスクは、全てではなく、その多数が両翼配置による。そのことによるものかどうか、日本の市場には、なかなか、紹介されなかった不遇の大指揮者で、これから、再認識されても良い記録を残している。ロンドン交響楽団、冒頭から活躍する首席ホルンは、バリー・タックウェルだろうか?